石龕寺2 岩屋山-石戸山

岩屋山は丹波市山南町内にも二山あり、篠ヶ峰(2等 827m)への稜上に西の岩屋山と、山南三山であり・丹波市もみじ三山で知られる岩屋山石龕寺背山の岩屋山がある。いずれも山懐に岩窟がある。
   
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此処では勿論後者:用明天皇の第二皇子:厩戸皇子(聖徳太子)により587年創建された石龕寺について石龕寺1 奥の院-頭光獄に記したが、てらうち・ててうち栗…等大粒の丹波栗を産する栗作郷。
仁王門から岩屋山と金屋鉱山跡
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この栗作郷を源頼朝より賜り地頭となった久下氏は足利尊氏の篠村旗揚げ(1333年)にも一番に駆けつけた。観応2年(1351)にも京を追われた尊氏親子は久下氏を頼り石龕寺に遁れ、
  岩屋山(石龕寺城):白山/熊野権現を祀る丹波修験の道場か?
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仁木賴章(高見城主)に2千騎を付け嫡男の義詮を此処に留めた。(太平記第29巻)。其の際の”ててうち栗(別テイク版もあるが)”伝承の木版・山門の仁王尊は定慶(仁治3年)作・町石等…石龕寺には数々の文化財がある。  屋山-石戸山への鞍部堀切から鉱山跡に下りる 
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山門を潜り本堂に向かう石畳参道の中央帯には平坦な石が並べられている。気付く人は少ないかも…?。此れは石戸山から高見城山への縦走に入る直ぐ先賽の河原や、石戸山南尾根筋東山腹付近に採石場跡が残る鉄平石
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また石戸山-岩屋山の最低鞍部(石龕寺城東端の堀切)から竪堀となって延びる長い堀底道(急斜面)を下り切った処一帯・岩屋山山頂から切立つ断崖絶壁となる南面は、大正期から昭和50年代まで採掘されていた僅かな歴史と自然崩壊の爪痕が残る金屋鉱山跡
   賽の河原:鉄平石採掘跡地
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僅か7-8㎡の主郭と思える岩屋山頂部も往時は約55㎡あったと云われ、主に南部大部分は陶石(サヌカイトの一種でカオリナイト<タイルや陶磁器の原料>)の採掘に削り取られて空中に消滅…!!。
  断崖絶壁上に石龕寺城主郭一部が遺る
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当然:城砦遺構は高低差も少ない頭光獄への尾根筋に延び、頭光獄が南郭・南出曲輪の可能性を考える。鉱山跡にはブルドーザ2台。トラック1台が残置され朽ち果てるときを待っている。
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