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zoom RSS 石禾谷の城W 岡比丘尼城 和田山町

<<   作成日時 : 2018/06/13 21:38   >>

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朝来市石禾(いさわ)谷の城山城廻りには、先に石禾上城(石禾古城)と、畑高城(石禾城)を紹介したが、此の二城は以前:石禾の三城として石禾下城と共に訪城しており、今回は新たに発見された?(公式記録にない!!?)城サイトの記事から、T氏に誘われ・地元但馬のT君の案内で訪れた岡比丘尼城の序で…行き掛けの駄賃…
  西土塁虎口(曲輪内部の土塁折れ「食違い虎口形状」を見せる)
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南北朝期:阿曽沼氏が但馬石禾郷のうち石禾下庄(石禾庄)に所領を得て地頭として来住した事等は石禾谷の城Tにも記したので参照願います…。限られた一部の山城フアンから・今や入場制限され見学コース順路さえ指定される観光城となった竹田城とは同じ和田山町内にありながら
  三角点標の立つ南虎口受け曲輪(一段上に主曲輪群)
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観光とは無縁…山城に興味のある人も訪れる人は少ないが、山城の多い但馬地方のあっても特異な縄張りを持つ岡城と法道寺城が石禾谷にあっては代表的な二城。其処に今回の岡比丘尼城を加えた。10年程前の地元資料には既に城史不明ながら城名は知られていたのだが?。
   西土塁虎口部:内部は主曲輪(正面奥)から西面を低土塁が囲む…
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近畿圏では小浜市(中部圏と重複するが?)空印寺に八百比丘尼の伝説が、この八百比丘尼の髪脱離塚(八百姫髪塔)伝承が丹波市慧日寺に遺る。比丘尼とは鎌倉-室町時代にかけ、諸国を遊行した半僧半俗の女性で、熊野信仰を拡めるため全国を巡り歩いた尼僧姿の「熊野比丘尼」が知られるところ。
  主郭内中央を南側帯曲輪を分ける低土塁(幅は広い)線
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比丘尼城は何故か但馬地方に多く存在するようで美方郡香美町・豊岡市九日市と吉井・但東町・和田山町の隣養父市八鹿町朝倉の比丘尼城レポート内に熊野比丘尼・歌比丘尼に触れておいたので参照願えれば…。城名に山名や所在地・伝承等由来は無さそうなので、低い丘城か「小さな城」の意味か?。
   帯曲輪南の低土塁線は主曲輪側より長く段差も少し高い
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しかし岡城・法道寺城から背後の尾根続き標高Ca340mに位置する訪城には、ちょっと厳しい激急登が待ち構えている。縄張り詳細等は今回は先にホームページの岡比丘尼城に「東西約30mx南北約50m規模の方形単郭の陣城形容」としてアップ済なので此処には割愛する。
  西から東端へ延びる土塁・帯曲輪は南東端曲輪に繋がる・切岸下は犬走り? 
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