段宿城Ⅰ<仮称> 丹波市

今年(2018年)西日本を襲った記録的な豪雨・その後も「命にかかわる」連日の猛暑は最高気温を更新。海に囲まれ山国の日本の僅かな平野部・山さえ見ない都会の中枢部に在っては実体を掴めず・繰り返される天変地異に真摯に立ち向き合う対策は難しいのでしょうか。まだ記憶に新しい2014年(平成26)8月の台風11‐12号と前線による
加茂神社から…背後の丘陵に<仮称>段宿城(下段:愛宕城)が…
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西日本豪雨災害は広島・福知山・此処丹波にも、河川の決壊・氾濫・土砂災害の凄まじく甚大な被害を被った。流出土砂の量は広島より丹波市の方が多かった様だが、犠牲者が多かった広島だけがマスコミ記事に採り上げられていた。丹波市でも特に被害の大きかったのが市島町前山地区だけに、此処を訪れる機を逸していた。爪痕も少しずつ癒えはじめたところに今回の豪雨
  入山ゲートの猪鹿除けフエンス側に亥之神社…とは 
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R175号で前山(さきやま)川の架かる「八日市橋」を渡ると100m程先が”八日市”交差点。豪雨災害により八日市橋も決壊し(2年程だったか?)再建までの暫く迂回していた。八日市交差点を左折すると、前山地区西北部余田谷に向かう。鴨坂・徳尾…等余田谷は中世・余田氏の発祥地。余田氏は清和天皇の後胤五郎兼房が余田姓を名乗り、
 ゲート直ぐ上に現れる3段程の曲輪 2段目切岸下には空堀土塁…!!
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余田為綱が鎌倉時代中期関東より来住、南北朝期:足利尊氏丹波篠村の挙兵には久下氏・芦田氏等共に参軍、天正2年余田左馬頭は荻野直正の攻められ落城し直正の軍門に下るが信任を得て家老職に就く。詳細は余田城を参照…、翌:天正3年には明智光秀の丹波攻め「黒井城攻略」の第一回攻撃が始まる
 尾根筋の段曲輪群側の竪堀!! 亥ノ神社・愛宕社への参道か
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翌天正4年1月の総攻撃には西に黒井城から討って出る荻野・赤井氏軍勢に呼応して、明智方に付いていた波多野秀治(八上城主)が明智勢を挟み撃ちした策謀”赤井の呼び込み軍法”により圧勝した。東からは波多野氏が此の反撃の軍勢を整え出撃の準備をしていたのが十方寺で、第二回攻撃(天正6年)にの際に寺は焼かれている。 
 亥之神社の祀る広い曲輪西北面切岸下の帯曲輪から更の愛宕神社へ
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余田谷への入口「八日市」近くの丘陵部には、荻野氏傘下に加わってからの築城と思われる?城砦遺構があり、長い尾根続きに曲輪を連ねるが、現:国道竹田バイパス沿い・塩津峠(福知山市境)・県道708号(竹田川沿いにR9号<山陰道>に出る六人部<むとべ>)方面からを監視出来る位置にあって、全ての竪堀が塩津峠を望む北面に設置されている。
 <仮称>段宿城(下段:愛宕城) 更に急な尾根筋を150m?程で<仮称>上段:十方寺城に…
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此の遺構段宿城<仮称>については丹波志・氷上郡誌等に記述見当たらず、市島町史実研究会の紙誌等を拝読する機もなく、県・市による遺跡調査等も未実施報?の様で不明:推察だけに始終しますが次回 段宿城Ⅱ<仮称>に続きます…
   段宿城下城 凡そこの付近? ↓ 

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