中尾城 三田市

近畿自動車道建設に伴う発掘調査で発見された中尾城(下相野字中尾)は調査後遺構は消滅したとされ、其の位置図からも遺構は絶望視していた…がほぼ縄張り図通り、土塁側に主郭・副郭が並び、
調査報告・縄張り図にはなかった堀切土橋と道路公団境標石
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削平曖昧ながら帯曲輪・東少し高み(自動車道側)に土塁かと思える幅狭い腰曲輪二つの田の字形・中心部にある土塁残欠状が虎口…?。全体に灌木・下草藪に覆われ目視での確認は難しい状況…。小規模な山城ながら出土量が豊富で・顕著な生活痕を残す点で
  スタート地点で下馬!!(通行禁止)
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城内で恒常的な生活が行なわれたと…県立考古博物館(平成26年)との講演?資料だが、民衆が戦乱を避け:家財道具・土器・陶器等を持ち込んで避難した…とあるが、城遺構に礎石の出土の備前/瀬戸/美濃焼や中国産の天目茶碗等からは、領民の”逃げの城”と思えない。
 主郭の大土塁・西面に堀切・南端尾根筋に土橋
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中尾城主郭部から東の尾根筋に入り、舞鶴自動車道中尾跨道橋を渡ると、尾根続き南部には幅広い平坦地形が拡がる。兵の駐屯地・輸送兵糧の備蓄基地としての機能もありそう。三木方面から八上城攻略に侵攻する付城のなかでも「近道・敵からは目立たない・
  南(自動車道側)から土橋(境界石標)、右向に大土塁西面の堀切
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縄張り簡素な臨時の城」として「つなぎの城」の条件は揃う!!?。八上波多野氏救援の三木別所方が横川谷?経由で小野原・不来坂へ進軍したが、古市付近の交戦?で別所方が撤退したのが
  自動車道に架かる中尾跨道橋から望む中尾城域
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天正5年【先のブログ「名無し木」の蛇足を参】翌6年には摂津三田に4ヶ所程築かれた付城で、横川谷経由に築かれた「つなぎの城」の一つが中尾城か?。横川谷が吉川町を流れる北谷川の事なら此のルートで中尾城直近を通る築城位置としても符号する。
 中尾跨道橋南詰は直ぐに拡がる藪中の平坦地形は…!!?
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