高見城南曲輪(中ノ台ノ城) 丹波市

南北朝期・後醍醐天皇の嘉暦2年(1327)築城とされ、丹波でも最も古い城の一つ高見城は室町時代(足利政権下)最初の丹波守護(知行 建武3‐康永3年 1336-45):仁木頼章が居城し、加古川沿い氷上町佐野が城下で佐野城とも呼ばれていた。
中の台の城(高見城南曲輪)から望む主郭
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守護代は荻野朝忠(氷上町葛野の人:詳細不詳)、二木氏に従い南朝から北朝に…再び南朝方として弘浪山(高山寺城)に篭り…其後:高師詮(文和元‐2年)の丹波守護代に就いている。仁木氏の後:山名氏が守護のときには、小林氏・久下氏(頼直 観応1‐2)が守護代。
 南曲輪(5-6段)の鉄塔側曲輪と土塁
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播磨方面から氷上回廊(加古川沿い)に、また京・篠山方面から鐘ヶ坂を越えて氷上郡に入ってくる山陰道…の要衝地だけに、歴代守護代クラスが城主に入っていたのかも?。仁木・荻野・細川頼元(応永4年1397死去)頃までは久下氏に護らせていた様だが、
  南曲輪から主尾根を東に下った所の一曲輪(西面に低土塁)
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久下氏勢力の衰微に赤井氏が入ったか細川政権下に上原氏や内藤氏配下が拠っていたのかも?。高見城最後の城主と成ったのが赤井五郎(忠家)で数々の伝承を残す !!。高見城主郭部から西に続く主尾根・谷向いの尾根(送電線鉄塔が建つ)には高見城南曲輪(中の台の城)高見城を取巻く城砦群の項を参照願います。
  更に高見城側に土橋が架かる。南は崖状・北に小曲輪
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送電線敷設工事により発掘調査された遺構は、土塁が残る6段の曲輪・建物跡と広範囲に焼土が確認され硯 ・火鉢・碁石・銅銭・鉄釘・白磁や天目椀等も発見され居城として、また発見された遺物からも戦国期・天正期の光秀”丹波攻め”で落城した可能性が高まります。
土橋と北側小曲輪の東端は竪土塁
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激急斜面を谷筋に下ると佐野側に出るが佐野城時代の登城道かは不詳。高見本城側からは土橋(北面に小曲輪)と東側に竪土塁があり、土橋を渡り終えた右手上部には西面に低土塁を廻す東曲輪があり、尾根筋を20m程で3-4段程の曲輪跡?(送電線敷設工事で壊滅状態のまま…!!)から「中の台の城」の鉄塔側に立つ。  

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