段宿城Ⅲ<仮称> 丹波市

段宿城<仮称>については丹波志「古城部」氷上郡山東 加茂郷の上竹田村宿に”民家の末申の林山の頂に少しの城跡あり城山という。何某の居か知らず。尾続きの南に御魂屋という古跡、今は愛宕の小社を建てたり。此東裾に牛頭天王小祠あり…”とあり、今回のトレースで古城が此れに応ると判断した。
 段宿城(上城)主郭と尾根続き西下段曲輪・切岸下に堅堀切・右端に上土塁虎口?
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郷土史誌や県・市の埋蔵文化財分布調査書…等に当城館遺構についての記述を見ず?段宿城<仮称>とした。丹波志の所在:宿や地続きのも現地図では確認できず地名の段宿を充てた。先のブログ段宿城Ⅰでは天正3年に始まった明智光秀の黒井城攻略の第一回攻撃に波多野秀治が陣を敷き。翌4年1月には明智軍に反撃し出撃に出たところ。縄張りに堀切らしいものは無いが北斜面にのみ幾条もの竪堀があることから、天田郡(福知山市)方面からの侵攻に備えた丹波勢の監視砦が、黒井城攻略の第二回攻撃の頃には明智方向城群の一つとなったものか?
 段宿城(下城・愛宕曲輪):尾根道とは別に北へ周り一折れ斜上する虎口?
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段宿城Ⅱでは段宿城への取付点となる加茂神社に合祀されている九社(現:六社?)から現在地や状況が判れば訪れたいところですが…?。遷移元から、丹波志記載の周辺の城館についてなにか消息が判るのではないかと…判じてみるが、地元郷土史誌や県・市による埋蔵文化財分布調査報告書等による遺跡調査は未実施?・不明の様で!?推察だけに始終する。
 正一位加茂神社:十万寺含め周辺地名が宮の下
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明智光秀の黒井城攻略本陣は多紀郡(篠山)・氷上郡(丹波)国境に金山城柏原八幡城が西面に・黒井城正面に位置する茶臼山城・東面には小富士城があり、段宿城は小富士城本陣の東北部に位置して、白毫寺城長谷山城岩倉城…等を向城群の一として利用したと思われます。
 段宿城(下城)東先端付近の段曲輪
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段宿城域は前山川沿い北の十方寺背後の丘陵上にある三角点峰(山名が判れば城名としたい)を上城として、東へ延び出す尾根の最先端を加茂神社・上竹田公民館の裏手に落とす。公民館裏手から山道に入り、猪鹿除けフエンスを開閉する直ぐ先に3-4段の曲輪がある。最初の平坦地形(曲輪)に1x1.5m四方の石列を観る。丹波志記述の牛頭王子の小祠跡と推定。其の上部の曲輪切岸下には低土塁・浅い堀切跡がある。
 段宿城(下城)亥之神社曲輪の南面小曲輪群?
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曲輪段に沿う竪堀状は此の先:亥之神社を祀る曲輪・更に愛宕神社を祀る下城主郭の曲輪に入る。丹波志記述の古城部「上竹田村宿」の古城は此の愛宕社主郭まで。主郭から延びる緩斜な北尾根は長く広い3段程の曲輪(自然地形?)。塩津峠に向かう街道筋(R175号竹田バイパス)のスポーツピアいちじま【全国女子硬式野球の甲子園とも呼べる大会開催場ともなる】・磐座を背にする石像寺(十万寺も末寺)も正面に望む監視の適所。
2014年豪雨災害では土砂流に埋まった十万寺と裏手の砂防ダム
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下段主郭の愛宕社曲輪からの尾根続きは尾根筋に土塁痕を遺す二条の竪堀が北面に落ちる。此の先凡そ150m程の緩衝帯・急斜面が緩やかになると2段程の曲輪先が三角点峰の上城部で15mx50m程の城域・北西へ延びる尾根続き主郭切岸下曲輪の西端を上り土塁虎口として残した肩堀切・曲輪北端から竪堀を落とす。上城域西端にも竪堀が一条。三角点峰から南への尾根筋は急斜面だが十方寺の屋根を真下に望むがフェンス沿いに西方の墓所から里に降り立つ。

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