泉山砦 丹波市

鴨野城3 にも記したが泉山砦(泉山城・谷屋敷・谷垣殿)<泉山193m 丹波市柏原町田路・母坪>は元来:鴨野城の東出曲輪的存在だったのかも?。泉山砦には仁木頼章の弟 ・四郎源(和泉守)義長が一時期在城していたと伝えられます。沼貫村史によると南北朝期初期の建武年間(1334~38)高見(佐野)城主は丹波守護・仁木頼章。
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一時期:伊勢に敗走(南朝に付いていた頃~観応の撹乱以後か?)するが仁木頼章の死後:守護職が仁木頼夏・義民と続いていた康安元年(1361)頃?に再度:佐野城(高見城)に帰ったと云われる。貞治3年(1364)丹波守護職になった?とあるが(貞治2年は足利直冬・貞治3年からは山名時氏・氏清と続く?)。仁木頼章の子:義尹<よしただ>と)話が混在している様?。
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仁木頼章の弟:義長は応安7年(1374)に卒し稲畑谷屋の宝光寺に祀られ稲畑谷垣氏の遠祖とされます。谷屋敷や谷垣殿…と呼ばれる所在・字名等は不詳だが、義長の後裔?谷(谷垣)石見守石戸の山権を久下氏と囲碁による勝敗で決着させた永正年代の話からも、新井郷支配が仁木氏から一時は久下氏・久下氏衰退から赤井氏に支配が移るまでは谷(谷垣)氏が鴨野城に拠り実効支配していたのかも…?
 泉山砦:主郭・副郭間の幅狭曲輪両側の一段低い曲輪
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此処に記す泉山砦は:鴨野城から北尾根続きの鞍部を過ぎ次の峰頭附近に4-5段の曲輪・浅くなってはいるが土橋付堀切がある。城域最北端(送電線鉄塔89号<鴨野城主郭西の送電線が88号>そばの尾根東面に片堀切【荒れた岩盤混じりの砂地なので、堀切りとして西の鉄塔側へ切崩した形跡はなさそう】、鉄塔に曲輪があったかまでは設備工事による改修・削平で不明。 
城域北末端の片堀切(左手前:送電線No89側)
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戦国期には石戸・小新屋・北山から田路・母坪を通る街道を監視所とする必要性も薄く以後は、元亀・天正年間(1570-92)の織田信長の丹波平定時等に、波多野氏・赤井氏等の丹波武士団が、此れら母坪(穂壷城)~泉山(妙見砦・泉山砦・鴨野砦)~!~高見城(佐野城)を結ぶ氷上町・柏原町境界の丘陵上に並ぶ強固な?防衛線を形成し、その一城砦として臨時に使用される事はあったのかも知れません。
「丹波霧の里」HPの鴨野城・泉山砦…等関連記事内容の修正加筆・画像追加差替えは後日更新します

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