北条の宿Ⅱ 北条陣屋

県の歴史的景観形成地区「北条の宿」のメイン・ストリートは「Ⅰ」で紹介の商家の家並みで通りの宮前・御幸町・御旅町・南町を歩いていると区々に背高い蔵を見掛ける。町名はそのまま播磨地方の神社の大祭(此処では住吉神社か?)の際に
   酒見寺多宝塔
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宮入する神輿の御幸ルートと町の角等で蒲団太鼓等を休める?御旅所かと思えてくる。「北条の宿」の西外れに鎮まる住吉神社・酒見寺は江戸時代・幕府や姫路藩に崇敬され厚く保護されてきた。酒見寺の南門を出ると”商家の家並み”ストリートだが、
  酒見寺山門
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庫裏の前を東口に出ると散策マップに大信寺・西岸寺・妙典寺の三ヶ寺のある“寺町通り”。「西国街道…・・・」とするあたり・江戸時代の本街道(山陽道)の脇街道となる西国街道に繋がる・さらに広義の西国街道なのかも・・・?。山陰・山陽を結ぶ要衝は商人の宿場町。
  石橋から住吉神社本殿社殿
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慶長(‐1600‐)頃姫路藩領だった北条町は、江戸幕府が成立(1603年)した藩政時代:幕府の直轄領となっていたが、1640年代頃には関東の藩主領が続き、小田原(相模国)藩領となっていた…が引き続き!?。天和ー延享3年(1681-1746)までは…
 大信寺
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富士山の噴火により領地が荒廃した小田原藩大久保家の救済に与えられた全国の代替え領地(武蔵・甲斐・和泉・摂津等)の1つが北条町で、大信寺はこの大久保家の菩提寺であったため歴代城主の位牌が今も祀られていると・・・。
  大信寺東の圃場
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延享4年(1747)からは徳川三卿【徳川氏一族から分立した大名家の田安・一橋・清水】の田安家領となり陣屋【御陣屋<北条陣屋>】が置かれ明治の廃藩まで続いた・・・という。御三卿は常時江戸城内にあり領内行政に関わる必要はなく、藩と違い改易されることもない。
  商家の家並み…から寺町通へ…
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北条陣屋の特殊性【藩陣屋ではなく(田安藩の成立は大政奉還以降・2年後の版籍奉還で廃藩)】からも領地支配は在郷の士とも思えず、小田原藩としてではなく?「大久保家」が代官職を引継いで続いたものか…?。(加西北条の大久保家・田安家について詳細資料を不知 推察するだけ) 
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肝心の北条陣屋は大信寺の北面にあったとの推定のみで位置や遺構も知らず。寺町通り西の神社・東・北方の田畑や段差に陣屋跡を想像してみるだけ…
 加西のふるさと散歩…他 加西市教育委員会資料等参照

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