美和砦<仮称>Ⅰ 丹波市

丹波市市島町美和地区の酒梨(さなせ)には黒井城主荻野伊予守秋清の下屋敷があり、文亀2年(1502)増築し黒井城支城としての酒梨三の丸【留堀ケ城(酒梨城)】ともなっていた。
 美和砦稲荷神社曲輪(仮称):東段から主曲輪
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秋清には継嗣なく後屋城主赤井時家の次男才丸を養子に迎え、荻野十八人衆の盟主として朝日城に入れていたが、天文23年(1554)1月2日年頭の挨拶に城に出向いていた才丸(荻野直正の幼名)がその席で
   美和砦遠望
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養父秋清を刺殺し“悪右衛門”直正を称して黒井城に入城した。保育園跡地にあるテッラドーノや美和地区交流センター西面一帯が留堀ケ城趾。北方には杉山(390.6m)から249m峰に至り南麓の与戸・酒梨集落に一気に落ちる丘陵が望まれる。
  美和砦<仮称>取付点
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此の尾根筋249m峰の真南約3km程に黒井城が位置する。此程急峻な丘陵上に領主の城砦が築かれていたとは思えず、遺跡調査も空白地域。山麓の与戸・戸坂に留堀ケ城が、黒井城搦め手口?には白毫寺城ほか後方にも明智方の向城となったと思える城砦がある。
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南西に白毫寺・南東に小富士山・北背後には段宿<仮称>・鴨坂にも持城とした攻守の黒井城包囲の城砦群があり、真正面に黒井城を監視すの絶好の位置。与戸から西山麓を回り込めば乙河内集落。乙河内から下鴨野へ通じるは日出尾峠を山陰街道日出駅と結びつける丹波古道の考察もある。
  美和砦稲荷神社曲輪(仮称):東段
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此処より249m峰に向かう東方に直正が刺殺した黒井城主秋清の塚があり、市道の東端集落内には子育て地蔵【天正7年明智の黒井城攻めに落城・美和の乙河内に隠棲した直正家臣:荻野丹後守夫婦の子育て地蔵】伝承が残る。
   美和砦稲荷神社曲輪(仮称):西段
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249mへの取付き点を酒梨西端の稲荷社・与戸の三輪神社・乙河内の天満熊野神社三箇所に絞ったが、尾根筋の判りやすい酒梨の稲荷社。「乗っけ」から急斜面のフエンス開閉に四苦八苦・しかし直ぐに稲荷社と愛宕社か?、二社の祠前に着く。一昔までは子供達の奉納相撲も行なわれていた稲荷社狐像が!!ウサギ顔の珍しく膨よか?さがユーモラス。
 稲荷曲輪背後・約200m程の緩斜面に連続する低段差の曲輪・空堀状?
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東西一段下に曲輪・背後から約200m程の緩斜な尾根上に、曲輪らしい削平段が続き、中ほどの空堀状を幅広土橋で越え、…再び激急斜面に移る位置に広い曲輪(林業作業用とは思えない)を見る。此処までを美和砦稲荷神社曲輪(仮称)とする。後は急登に継ぐ急登、上方の露岩を避け別の枝尾根に移ったりしながら諦めかけた頃249m尾根に出た ***美和砦Ⅱに続く***

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