美和砦<仮称>Ⅱ 丹波市

酒梨・戸坂・白毫寺等の美和地区内の”みわ”の名称に三輪小学校とか美和保育園…等の呼名がある。美和郷は一郷だったが二つの(三和庄と三和勅使田)荘園が成立していた。詳細不明ながら勅使の字名がのこることからも勅旨により拓かれ土地を親王に下賜された領地。
主郭背後を護る3重堀切
画像

三輪小学校前を乙河内へと北上する車道が美和川と合流する位置に三輪神社【美和郷六ヶ村(乙河内・戸坂・与戸・白毫寺・酒梨・勅使)の総社であり・美和地区の産土神】が在る。先のブログ:美和砦Ⅰに記した黒井城主であった荻野秋清の留堀ケ城(酒梨城)・養父秋清を刺殺した荻野“悪右衛門”直正が弔った秋清の菩提寺跡にも寄って…
 主郭から望む黒井城
画像

北方の与戸・乙河内境に丘陵裾を落す杉山(390.6m)からの尾根ぴ-ク249m峰:美和砦<仮称>に至る取付点を「酒梨の稲荷社」からと定めたが、此処に曲輪を見つけ・249m山上に城趾を発見・稲荷社遺構を山上郭の出曲輪に位置づけ美和砦稲荷神社曲輪<仮称>とした。
  主郭背後の土塁堀切
画像

さて:乙河内から北に美和川沿いには五台山に通じる登山コースだが、東方の丘陵を尾端・下鴨坂に越える葛原峠から葛原山(347m)を経て杉山(391m)に至る尾根筋がある。余田城段宿城<仮称>のある鴨坂・宮ノ下からも通じているよう。
 三重堀切南面
画像

殊に天満熊野神社から下加茂に越える日出尾峠を山陰街道日出駅と結びつける丹波古道の考察もある脇街道並みの要衝だったか?。日出駅の所在等に諸説があり特定されていない?。勅使ー乙河内ー日出尾峠を前坂ー段宿に出て塩津峠を福知山へ向かうルートだが…
  三重堀切北面の一つ
画像

美和砦<仮称>の西端に位置する主郭の三方は枝尾根も急峻な斜面上部に小さな曲輪段があるだけだが、防御施設の土塁・堀切等は東方の丘陵部に展開するのは、先述した峠越え街道からも・尾根伝いに繋がるだけに、規模は小さいながら丹波市の山城には珍しい三重堀切がある。
  主郭東面の土塁曲輪
画像

黒井城を真正面に望む美和砦主郭・といい、領主の城とは考えられず明智光秀の黒井城攻略に築いた向城と推察する。縄張りに織豊系を期待するのは?:急を要する短期の築造には地元農民等を使役したとは思えるが陣城に堀切とは!!?……此れについては明智方に降りた京都丹波側の将兵等を動員し、任せて築かせた城砦…と考えれば合点できるのでは!!…。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック