犬岡城 丹波市

今年最後の干支の山は戌鬼が担いできた小さな二つの山に紹介した明治山(153m 4等三角点)は、地元で犬岡(いぬか)山とも呼ばれ、葛野川と佐治川(現・加古川)に挟まれた田園地帯の中の極小独立丘陵だ。柏原藩(後期)織田家は元禄8年(1695)大和宇陀藩:織田信休の移封で柏原藩が立藩。
加古川に架かる犬岡橋から明治山・背後は安全山
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藩邸候補地して下見した際には宇陀の松山城にも似た此の地が有望だったが、二つの川の氾濫で、犬岡山は時に水に浮かぶ小島の様になり、湖化した犬岡山周辺の様子を 見て諦め柏原町に移ったという。藩邸建築許可は移封19年後の正徳3年(1713)に造営・翌年完成しています。
  普門寺背後・展望デッキの東曲輪北面箱森神社側切岸
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話が前後するが鬼が担いできた小さな二つの山山上に愛宕社を祀る甲賀山・明治山(犬岡山)および、犬岡山の「犬」には前期柏原藩織田家・信包の筆頭家老の佐治(譽九郎)一成との関連?を記しているので参照願います。最近:地元「犬岡子ども会」により、明治山の西中・北の箱森稲荷神社西端の犬岡愛宕神社、
  展望デッキの尾根南下に帯曲輪?、正面上方に明治古墳
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南の犬岡側からは大歳神社と普門寺から里山ハイクのコースが整備され、”丹波志”や”氷上郡志”の旧犬岡村に記されている松井久後兵衛や鑑内氏【豊臣秀吉に付いた松井氏・鑑内氏ともに朝鮮出兵で功を挙げたという】の関連山城?らしいニュアンスの案内板が主郭と思われる丘陵西よりの平坦地形ピークに設置されていた。兵庫県埋蔵文化財分布地図位置に城砦は無論!?、明治山古墳についても表記されていない。
  尾根続きの削平段?
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古墳明治山石棺古墳は昭和44年6月国土地理院の三角点設置の際発見されたが、県教委による詳しい調査はできていない。箱式石棺で中には人骨の一部がある頭骸骨は砕けていた…副葬品は長さ11㎝ほどの鉈1本のみが発見されたとあり、盗掘に遭ったものか?…時代は明確でないが古墳時代後期6世紀(500年代)のものとされる…。
 主郭東斜面下・埋もれかけた土塁付き堀切?
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成松の南東外れ…正面に霧山を望みながら葛野川に架かる正尺橋を渡り、犬岡地区の愛宕社へ向かう里山ハイク入口からトレースすると、登りはじめて直ぐ目に付く燈籠左手の坑口は、個人により長期間掘削された防空壕は5m奥で左右に延びるT字型。
  主郭東面切岸(里山の道沿い)
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右手には南端の民家近く・一文字土塁状は、冠水を避ける高みの居住空間!!?。尾根に出ると左へ愛宕社・右への尾根続きが小曲輪状の段差を経て、広い主郭と思える城山【東西4丁(436m)…山に登ること50間(90m)】とされる山頂部に達し、続く東斜面下に土塁・空堀状を見る。
 北方の見通し悪くなった展望台から甲賀山・市庁舎・霧山を…
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明治山の尾根筋に平担地形と段曲輪状を見るも明確な?城遺構は此の空堀だけ…?。樹木の植生盛んで展望は望めないが、それでも「展望台」が一ヶ所あり、北正面の甲賀山・東には植野記念美術館と佐治川に先端を落す霧山が望まれる。普門寺への下山ルート分岐先に明治山最高地点と古墳跡と平坦地形(凡そ15㎡)案内板標を見る。
  丘陵西端ピークの犬岡愛宕神社・削り残し土壇は櫓台か?
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東への下降は猛烈な雑木藪と獣避フエンスに塞がれるが、普門寺背後の稜上は以前展望休憩所だったか?、ベンチが残置されていた。北方の箱森稲荷神社からの藪の急斜面も此処に登り着く。尾根筋東へは急斜面なので、此の付近が城域東端・ベンチの南側下部には明治山山頂部にかけて下草藪に覆われているが、
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一段?帯曲輪が延びているよう其の南側は普門寺の側まで土砂崩れによる工事中。「丹波志」 以外に知り得る資料もなく 史実も築城時期等詳細は一切不詳。普門寺からの登り口にある祠に”松井久後兵衛”石碑が祀られているが人物像も、此処に居城したとも不明。貼り付けた地図には犬岡城南曲輪跡と表記されているのだが?
先のブログ鬼が担いできた小さな二つの山の掲載画像(堀切土塁・山頂古墳)も参照願います

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