小南山城Ⅱ 丹波市

小南山城は以前のブログを併せて参照願います。氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書(1996年)の城域範囲外の東に突き出す枝尾根先端・及び柏原病院(今年多田へ移転か?)側尾根先端付近にも遺構があり今回は「丹波攻め」明智の向城を主としての再確認。
小南山城(東の主郭・三角点)
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ほぼ四方形(挿入画像の最下段を参照)の中央部に位置する東郭・西郭?は遊歩道もある古来・和歌に呼ばれた甘南備山。山城を意識して登る人は少ないかも知れないがよく歩かれている。Web上でも「小南山城」で検索してHITする件数は殆どなく、城史も不明・興味を惹く山城遺構に乏しい!!?。
 小南山城東南端:コの字状土塁曲輪
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しかし旧街道の恩鳥峠に向かう街道監視の東南端の曲輪群にはコの字土塁囲み曲輪と堀切り。柏原川沿いの東北尾根中程の枝尾根先にも出曲輪遺構。西端郭(此処も古墳か?)から南への尾根上には三っばかりの古墳マウンドを利用したと思われる曲輪遺構があり・曲輪間に浅い堀切状・
 柏原川沿い東尾根上出曲輪から(八幡城正面中央)背後に譲葉山城
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西面には二段の犬走り状の棚を持つ恩鳥峠及び、高見城監視も兼ねた向城。更に西端郭から西北への尾根筋にも小曲輪群が段を重ね北末端には18x30m程の削平も綺麗な曲輪がある。勿論・高見城や北方面から挙田・小新屋方面や田園風景の先に
  主郭(東郭)背後の段曲輪群の下方にも尾根上最大規模の曲輪がある
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穂壷城・横田城への帳簿があり監視も可能。東屋のある最高所(中央郭)よりは東郭の展望台(三角点232m峰)が主郭のようで、此処から始まる東北尾根側に4ー5段の曲輪が並ぶ。更に50m程下方にも竪堀?を伴う曲輪があり・少し離れた下方にも曲輪をみる。
  小南山西端峰の南尾根(三っ程の古墳マウンド上)に曲輪
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此の曲輪ふきんから東方への尾根筋先に上記でも触れた曲輪群(南北に帯曲輪を伴う20x80m程)がある。ただ尾根筋に掛けて2-3段の古墓群が続き、進むに抵抗を感じるが北尾根末端(土石採収場)の頭部にも小曲輪があり、展望絶佳で・光秀の柏原八幡城とも至近。
 同:小南山西端峰の南尾根曲輪群先端西面(左)に二連の犬走り状棚がある
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小南山城と柏原八幡城・旧街道の恩鳥峠・高見城関連についてのブログも参考にしてください。小南山の中央郭堀切りを境に:東側は旧赤井氏側関連の山城。堀切りから西郭と西南・西北尾根部の遺構は,、最前線の茶臼山砦とともに明智の高見城監視の向城遺構と解釈できるかも?。
 小南山城西北尾根上先端の大曲輪から上段曲輪の切岸…
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恩鳥峠を越える旧街道については→伝説:柏原八幡の弁天社。天正6年:高見城赤井氏と織田軍の合戦があった恩鳥峠は室谷の地蔵堂。恩鳥峠【おさん茂兵衛と小南山城】や「おさんの森」西の低丘陵・明智光秀が高見城監視の茶臼山砦には光秀の”諭しの山”伝承がのこる。
  東尾根上出曲輪:南北に帯曲輪・北面断崖・東端に一段小曲輪あり…
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小南山城は先述のように、ほぼ四方形の山域の中央郭間に太平洋戦争遺構らしいカギ状塹壕溝が残る。高射砲.対空機関砲 広い削平段も消滅した曲輪等の蹟か?・堀切りを境にして・城域東部は築城初期の領内監視・西部は高見城向城として修築されたもの…?と分けて考えてみるのが妥当かも!!。明智の大河ドラマ化で「丹波攻め」山城に関心が集まりつつある時だけに、見過ごされ.忘れられた山城だが砦規模を凌駕する小南山城等を、多方面から専門家による再調査をお願いしたい。
   独立丘陵の小南山全景
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ほかにも昨年記録だけでも犬岡城 稲塚砦<仮称>平松砦<仮称>愛宕山砦<仮称> 美和砦<仮称> 堀の内砦<仮称>は麓の居館についても… 山ノ神城については調査書に触れられていない畝状竪堀について…他にもあるが殊に段宿城<仮称>は長い尾根上の上・下に二郭をもつ。浄福寺砦…等々まだまだあるのですが…いままでも文化財課での対応は難しいのかな?

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