多田砦 丹波市

黒井城(保月城)は猪ノ口山357mにあり今年(2019)の干支「亥」の山でもあるが、信長による「丹波攻略」の大将明智光秀が最後に陥落させ丹波が平定された丹波赤鬼の山城。黒井城を中核として粗三方に拡がる尾根筋に多くの城塞群がj築かれ、
黒井城東曲輪(東尾根下降点から…)
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主城を背にして前方の尾根に曲輪を重ねて防備する、山系全体が一つの城として機能する巨大な城郭群。主郭の黒井城からは殆どの出曲輪となる城砦群の位置が確認出来る。幾度となく訪れる主郭や東西の尾根筋の出曲輪の幾つかを端折ってHP上に記しているが、
 黒井城東曲輪から東山砦(先端)・的場砦(中程)
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未だブログに紹介していない遺構のなかに多田砦があった。主郭から東出丸を経て、東への尾根を辿る先端部に多田砦がある。多田砦の手前で南へ分岐する尾根上にも東山砦・的場砦があるが此所では省略。いよいよ来年(2020)予定される明智光秀大河ドラマ決定をうけ実施されている:未だ知られざる黒井城砦群遺構探索をドローンや科学的にも捜査?されているようだが其後の探索捜査結果を聞かない?。明智方の向城に対峙した黒井城側の稲塚砦…等は確認されているのだろうか?。近くの古河砦は未だ不詳・不明だが!!
 土塁が囲む黒井城東出曲輪
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多田砦のある尾根先から・直ぐ下に瑞龍山圓光寺(曹洞宗)の屋根が見える。元:天台宗神池寺の末寺だったが元禄年間に曹洞宗として再開山された寺だが、平安時代末期(久寿…とあるが近衛天皇から在位が後白河院になった保元元年(1156)の時か?圓光大師(法然上人)が丹波を巡錫の折の布教が縁で開創されたとも伝わる。
  多田砦:平坦尾根に突然!!…土橋付き堀切
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天正7年8月明智軍の猛攻に耐え切れず落城した黒井城から、逃げ惑う婦女子等のなかには尾根伝いに寺まで逃れてきた二人の姫がいた。落人狩りの明智軍に発見され落花狼藉に態:戦乱の世の婦女子の憐れさ。寺では二人の姫の亡骸を葬り傍らに多羅葉(多羅樹ともタラヤとも記されているが?)の枝を折って塔婆とし懇ろに供養した。
   多田砦:土橋堀切から本城に向かうフラットな尾根筋!!
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多羅葉の塔婆は翌春には芽を吹き生い繁った。二人の姫が住職の枕辺に現れ「多羅樹の横に淡島大明神を安置して欲しい」…と告げるので、堂宇を建て・淡島大明神を奉祀して寺社とした。以来霊験ありと…婦女子の参詣後を絶たず…と。樹は朽ちたが残る堂宇が落城悲話を伝える。
  多田砦:城域東北部には竪堀も含む4段の帯曲輪が!!
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圓光寺の背後:比高50m程には東西100mx南北40m規模の縄張りをもつ多田砦(Ca140m)がある。尾根筋は細長いが北面の藪中に溝状を見る。竪堀でも空堀でもないが?、其の北東に長さ約30mの切岸を落す帯曲輪が4段、尾根筋北斜面からの侵攻を意識しての竪堀も二条・帯曲輪の東西端にある。
  多田砦:東南端部の櫓台付?曲輪跡?
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尾根筋東先端曲輪部は櫓台跡か?、此所は南面にも2段程の帯曲・城域中程の広い曲輪が主郭部のようで西端に土橋堀切がある。平坦な登山道途中の獣避けフエンスを開閉すると南枝尾根と合流して黒井城への明確な登山道となり、東出丸へも直ぐの距離。

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