出合砦 丹波市青垣

出合砦は丹波市青垣町から但馬:朝来市山東町へR427号線で越える遠阪峠経向かう入口に位置しています。今は北近畿自動車道(春日和田山道路)【R483号】で遠阪トンネルで通じる。此所・丹波最北西の境には但馬山名氏や太田垣氏傘下?の城砦群の一柴城があった。
 出合砦(左手尾根)から遠阪峠へ…正面のカラコ山(点名:柴)
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山名氏が丹波へ侵攻・反対に黒井の荻野直正に押し戻され、竹田城さえ奪取された毛利方山名氏が、信長に降り救援を求め織田信長に「丹波攻略」の正当訳合をつくった。天正7年若狭方面から羽柴秀長らの光秀援軍侵攻ルートが遠阪峠越え?とされるが遠回り過ぎる!!?。
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寧ろ福知山夜久野町の末や千原峠を使用し遠阪(但馬街道)に至ったと思える。但馬からならカラコ山662.5m(点名:柴)南西尾根鞍部を山東町側から今出へ出る井尻谷筋が遠阪城北麓を通り、現状荒れて登山者も通らない?ルートが侵攻ルートと考えられなくもない…?。遠阪峠は丹波側の下りてきたところに足立光永遠阪城がある。
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旧遠阪村は遠阪・山垣(足立氏の本拠:山垣城がある)・中佐治の大字から成る。また遠阪は遠阪・今出・和田・徳畑から成る小字の総称。足立光永は但馬への進攻や横山城(福知山城)攻めにも参軍した部将で、波多野氏重臣の七組に名を連ね【軍記だけに真意の疑わしい部分が散見するが】武勇に優れた城主だったよう。
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遠阪城へはR427号線遠阪峠に向かうところに今出川親水公園・今出せせらぎ園への案内板が立つはだかまつり神事で知られる今出熊野神社への入口。今出熊野神社について説明を此処では避けるが、遠坂の名は熊野権現(主祭神:伊弉冉命イザナミノミコト)の前身が但馬国造りの祖:大多牟坂王を奉祀した遠坂神社で多牟坂(タムサカ)が転訛したものと謂れ、但馬街道の宿場町としても但馬国とは古くより交流がある。
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さて:R427号から今出権現への入口案内板傍から今出川沿い車道北の耕作地が構居を意味する?小字”カマエ”。但馬街道通行監視の関所砦?代官所跡でもあったか…は不詳だが、南側の急斜面尾根が今出川に落ち込み遠阪川に合流する先端の頭上を自動車道が掠めて跨ぐ。
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急斜面の比高150m-350m間尾根筋に出合砦があるが、麓の「カマエ」と砦は時代や機能面から‼直接的な関係はなさそう?に思えるが、ともに集落最奥遠阪城への玄関口に位置する。
  城域外の尾根続きの片堀切?(谷筋からの山道?)
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土塁曲輪が地形を上手く利用したとは思えない不規則だが、全ての曲輪が遠阪峠(但馬街道)を見下ろす尾根筋に築かれている。福知山市夜久野町末から丹波市境に最も接する道も遠阪道に通じ・上千原からも遠阪集落の自動車道遠阪IC近くに通じている。
 尾根筋は更に急峻となり尾根幅極小・リッジ通しや通過困難な岩稜・壁が控える
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城砦についての城史一切不詳。但馬からの山名氏の侵攻、第一次黒井城攻め以後・緊急に手が加えられた城砦とは思えるが城域の前は断崖状・背後は険しく幅狭い岩尾根に退路を絶たれ(遠阪集落中程へ降りる尾根・谷筋が一つあるが…)、狼煙も遠阪城・田ノ口城以外は山影に隠れ届き難い!?が、単に遠阪城や足立氏本拠の山垣城の監視砦とも思えない?。

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