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zoom RSS 内山砦(下新庄城)<仮称・再訪> 丹波市

<<   作成日時 : 2019/04/19 09:23   >>

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下新庄城(内山砦 仮称)以前ブログに紹介していたが再訪し、祠を祀っていた山上部に内山の名称を収集したので内山砦(下新庄城)<仮称>として再掲します。佐治川右岸の県道109号を赤井氏発祥地【黒井城主:荻野直政生誕の後谷城】や弘浪山【南朝方の荻野朝忠や児島高徳等が高山寺を城郭化して籠もった】の東麓を抜け道なりに進むと「常楽」交差点。
 内山砦(下新庄城)は珪石採掘場上に主郭を置く(祠あり)
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右手へは加古川を渡り県道7号線・右北方へはそのまま山際を氷上町御油で県道7号に合流して青垣町佐治に向かう佐治街道。「常楽」を左折すると県道78号は下新庄・達身寺(丹波の正倉院)のある清住への分岐を左方に折れて北播磨の多可町加美区に向かう。
  主郭まで通じる作業道(既に廃道!!?)の北(左)に腰曲輪・西(右)の曲輪は殆ど壊滅
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土豪:本庄氏の南郷城(森山城)東入口を監視する位置に内山砦がある…とはいっても地元に知られず遺跡分布地図にもない埋もれた城砦は、主郭と思える山上に覆屋内に鎮まる大歳神社が祀られ、造成により元の曲輪状況は不明。
 西面曲輪(半壊)の足下から落ちる採鉱跡
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更に再訪では大歳神社は撤去・跡地には何処からか移された「金之神社」が遷移され、そのため撤去・搬送資材のためか?、背後から山頂まで道路が施設されていた。付近には平安時代の永承年間 (1046-53)に銀を産出したと云い近代:昭和中頃までは選鉱場〜採石場となっていた里見鉱山跡がある。小規模な砦にはこれ以上を望むに不要の過大・完璧防禦施設。
  作業道(廃道?)を挟んで北面に遺る2段の小曲輪
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無論・城史不明ながら丸山城に記した様に南北朝期〜中世にかけて 幾度かの合戦場に程近く成松城や南郷城に関わった砦とは思われます。道路の荒れ様からは山林作業ではなさそう。主郭切岸南東下に腰曲輪・更に一段下の帯曲輪の南端から東下方へ、自然地形なのか?竪堀状が一条落ちる。深く長いが西面に巨大な露天堀跡があるように、此処も珪石の採掘跡なのかも?。
 二段曲輪の西北と採掘場北斜面に二条の竪堀が落ちる(採掘場北側)
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主郭北に小曲輪・車道で分断されているが2段小曲輪があり、北東斜面下に延びる帯曲輪?トの間に一本竪堀がある。見過ごしていた…とはいえ車道廃道?の西北:雑木・羊歯類に覆われる北斜面に一本の竪堀が、更にその西・珪石採掘の立堀傍からも一本の竪堀が落ちている。
 主郭の祠(旧:覆屋付社殿は廃され、金之神社が遷移されていた)
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夫々に幅約2.5−3mで長さも25‐30m程で直線的に落ちる溝先が斜面と同化し失なわれる斜面の先へと続く。主郭の祠の西に一段下に小曲輪があるが足元は採掘跡の断崖上でスパッと切れ落ちているが、採石場側にある竪堀からも・西面には空中に消えた曲輪群があった様。詳細はHPの下新庄城(内山砦)を参照願います。

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