浜松まつり 御殿屋台

甥の結婚式に関西圏から東海地方の浜松市まで出掛けてきた。関東圏にいる甥の新婦の里が此処:浜松でメモリーズ画像のなかにも「浜松まつり」の半被姿があった。例年こどもの日前後に行なわれてきた”大凧合戦”は凡そ450年前:曳馬城(城史不詳・家康により攻略され
  徳川家康の鎧掛松と浜松城
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浜松城として拡張整備された)主の長男誕生を祝っての「初凧」が凧揚げの起源とは浜松市役所南へ向かう際にタクシー運転手との話の中で知った。家康は天正14年(1586)浜松城から本拠を駿府城に遷しているが、武田信玄との敗北…等々、家康にとって浜松時代に良いイメージは少ない?ようですネ。
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浜松城から257号沿いに浜松駅に戻る途中…伝馬町交差点「トイザらス」前の通りに10-20基?程の山車が並んでいる。戦後:市民挙げての祭りとして組織された”浜松まつり”【大凧揚げ+山車(御殿屋台)の曳き廻し】。山車を見物しながら進めば浜松駅も近かったが、
 今の時期:歩道の植込みにみる「ツツジ」を前景に…
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駅南のホテルへ急ぐため土地感皆無のまま旅籠町さえ通り過ぎ・成子近くまで来て間違いに気付き、海老塚で方向修正、ホテル近くに灯入れされた山車を見る。「岸和田<浜のだんじり>や泉佐野・熊取<山のだんじり>(日中と夜では囃子も異なり二つの顔をもつ…)」以来。全国屈指・東海か中部地方か迷うほどに広範囲の市だけに町ごとだと莫大な屋台参加台数になる筈…)が勢揃いの
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豪華・絢爛さは、さぞ壮観なことでしょう。9:30頃から11時頃まで、ホテル前ではふるまいビール・酒が出され、神社祭礼ではないので屋台の練込みはなく、旗を先頭に多くの参加者による手踊り?らしい連練り込みが繰り返されていたが進行の内容や意味等は知らない。事前に「まつり」を知っておればと悔やまれるが、遊びで来た訳ではない…と怒られるかも…

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