浜松城 周辺史跡

”大凧合戦”は凡そ450年前:曳馬城主の嫡男誕生を祝った「初凧」が”凧揚げ”の起源となっているが、終戦前後に浜松市民参画の”浜松まつり”として、山車(御殿屋台)の曳き廻し等を加え、浜松市民挙げて5月3-5日に掛けて行なわれる大イベントとなっている。
画像

曳馬(引馬)城玄黙口跡(浜松元城町 未訪):浜松城公園とはR152を挟んで東北の東照宮近くに位置した曳馬(引馬)城は徳川家康に攻略され浜松城として拡張整備された浜松城の前身だが詳細不詳。家康公鎧掛松浜松市役所・中区役所南西通りの歩道側にあり、北正面に浜松城復元天守櫓や石垣が望まれる。
  二之丸側に延びる(渡り)石塁の先に古城:曳馬城跡がある
画像

元亀3年(1572)12月(旧暦!?)三方ヶ原の戦いに敗走し浜松城に逃げ帰った徳川家康が、城内の松の木陰で休み・鎧を脱いで此の松に掛けた伝承から「鎧掛松」と呼ばれ、初代の松は浜松城榎門の包丁堀脇にあったが暴風雨(昭和4年)により倒壊、2代目は焼失・現在の松は昭和56年元城町の人々の手により植樹された3代目。(現地説明文等を参照)
画像

浜松城は出世城とも呼ばれるようですが、初代城主:家康にとっての浜松は武田信玄との負け戦…等良いイメージはなく出世…!!とは、その後の歴代浜松城主:堀尾吉晴や老中となった松平某・井上某・水野某…等の譜代大名を指しているのかな。浜松城出丸跡碑 浜松市立中央図書館南東駐輪場側の石段前に碑が立つ。
画像

浜松城公園内の縄張り図と照らし合わせれば(修築・造成等最終期の詳細年代は知らないが、曳馬城趾を取り込んでの規模のスケールが想像出来ますね。
家康は天正14年(1586)浜松城から本拠を駿府城に遷し、更に江戸城に移ると天正18年(1590)堀尾吉晴が12万石で浜松城主となります。
    大手門跡
画像

氷上郡(丹波市)の於ける羽柴秀吉の重臣堀尾茂助(吉晴)は、天正7年:明智光秀が丹波国を平定した後天正10年(1582)本能寺の変に天王山・山崎合戦で秀吉に敗れると、光秀家臣:斉藤利三に代わり黒井城主として6200石余りを扶持されて入城、秀吉命により明智軍に焼かれた柏原八幡神社の再建を命じられている。
    杉浦本陣跡
画像

浜松城公園から中央図書館前を経て、嘗て東海道の宿場町・伝馬町・旅籠町へと向かう。連尺交差点北角・大手門ビル側に浜松城大手門跡 碑。連尺交差点を南へR257号沿い、伝馬町に杉浦本陣跡。同 伝馬町交差点側に川口本陣跡。同 地下道を斜向かいに渡ったところに梅屋本陣跡…等が点在している。
   川口本陣跡
画像

地方からの参勤交代に多くの大名・旗本等が定宿とした”本陣”跡の碑を見掛けるが、各町村の目抜き通りでもあったか?「高札場」跡も見掛ける。国道筋を南下せず此の交差点を東へ向かえば「浜松まつり」の山車(御殿屋台)を見物しながら浜松駅へは近かったのだが知らず…
図書館付近に寄ってみたい喫茶BiobioやLoloも「市民挙げてまつり」の性なのか?閉店…   

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック