香良西砦Ⅱ 丹波市

香良合戦について知り得る資料も少なく[丹波志]や[氷上郡志][丹波戦国史]頼りの定説を先のブログ[香良西砦Ⅰ]に、素人の勝手な所感を加味して記してみた…あくまで推意なので思い込みによる誤りはご指摘頂きご容赦…願います
香良口から左端の加和良神社・正面の加良西砦<仮称>の低丘陵・奥に五台山・右端に香良城 
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双方に多くの戦死者を出しながら勝敗を決しない激戦に壊滅状態となった芦田・足立氏は戦後、荻野方に降り傘下に入ったとされます。此のの戦闘により戦死した芦田・足立一族を祀ったのが西芦田の栗住野「祖父祖父堂」と思われるが大河ドラマ化により益々明智光秀の戦後処理に謀殺された地侍36人の首塚として・香良合戦も管領内紛の代理戦争として此れからも伝承されていくのでしょう…か?。
  加和良神社の椋(ムク)木(市指定天然記念物)
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赤井家から荻野家の朝日城に養子として迎えられた才丸(直正の幼名)が、天文23年(1554)正月の年頭の登城(賀詞会!?)に黒井城主荻野秋清を刺殺。香良合戦は1年を経ず弘治元年(1555)。荻野・赤井両家家臣団の一部には上層部で勝手に薦められた養子縁組と云い、荻野秋清謀殺計画と云い…不平・不満はあった筈!!。
 神社背後の林道脇に並ぶ地蔵と五輪塔残欠は首塚か…?
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香良合戦が旧黒井城主秋清の忠臣派による遺恨・報復で決起されたとすれば、元禄「赤穂浪士」を彷彿とさせる直正に対する敵討ち事件?。芦田氏は赤井氏の遠祖と云い荻野・赤井・芦田は一族!?、伝承?の「芦田・足立氏VS荻野・赤井」は管領細川家内紛の代理戦争に合わせた構図か?…真相は知らず…
 加和良神社裏の林道から北尾根を越える旧道が鴨内ー鴨坂を市島町へ通じる:教会裏山に鴨内城<仮称>がある
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香良谷に戦闘が繰り広げられたと思われる合戦場が加和良神社(カワラ→コウラ<香良>の語源か?、此の辺りまで旧佐治川河原だったか?)の南面一帯?が[地蔵ヶ鼻]・[陣道ヶ原]と呼ばれたところか‼?。下流の霧山城の西麓・市原には治水事業の十六丁畷が残る様に、此処も加古川の氾濫に荒れ地か沼地になっていたか?。
 加良谷は足立氏領だったか?[堀之内]に館跡・前に地神の祠?、領主足立?権之丞xxx?の比翼塚か?祠に墓碑が納まる。足立氏定紋の五本骨扇ではなくいずれも囲い塀には二引両の家紋…‼
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此の合戦に直正の兄(高見城主:赤井五郎家清)は深傷を負い、子の忠家を直正に託して弘治3年死去。名実ともに荻野・赤井一族の統領になっている。県道7号の幸世郵便局先に大きな香良の独鈷滝案内表示板が立つ(香良口)傍らに一伝流兵法を編出した浅山一伝斎の碑が立つ。
小字「堀之内」?前の足立家氏神?:社紋/定紋も二引両紋‼
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以前は独鈷滝と岩滝寺間の参道に案内説明板付きで標柱が立ててあった…?。寛永9年(1632)の御前試合に勝ち、その流派は全国20余藩に伝承され・今も警視庁流の中に受け継がれていると聞く。水田家[町かど亭]主人が土蔵を資料館として開放されている一つの蔵に蒐集された木刀類が展示されており一伝流については御存知だった!!。
  香良西砦(円悟寺砦)«仮称»へは円悟寺背後から激急斜面を詰めた
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香良口で県道283号に右折し400m程先左(北)に見える低丘陵先端部に加和良神社があり鳥居横には丹波市名木百選?のムクの木がある。神社背後に延びる林道然とした狭い道の一方は伊佐口の谷沿い、山道を北に越せば鴨内(かもち)集落最奥部の教会前に出る。此処に2008年HPに«仮称»としてUPした鴨内城«隠ガ谷城»がある。…香良西砦Ⅲに続きます…
 香良合戦主戦場の陣道ヶ原…は此の付近一帯か?

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