長野城 丹波市

白山(後谷山城)東山麓の赤井氏本拠(後屋城)の赤井野を抜け、北播磨から山陰道へ繋がる丹波街道(県道109号)を成松から常楽交差点へ向かう。此れより葛野川沿いに県道78号【小春ロードの愛称もある「森安小春」(多可のこはる公園を参照)について当地(下新庄が生誕地か?)以外で知る人も少ないが先日(9/16)の敬老の日の発祥地多可町に関わりをもつ大正時代の日本三孝女の一】を西方に走る。
    主郭部東北端の堀切
IMG_541111.JPG
尤も此の県道氷上町側は内尾神社から先は林道・しかも直ぐ行き止りだが…「小春」らが越えた街道筋。笹ヶ峰に至る林道は徒歩でも苦難な荒れ地!?。山上に関電・放送等各社中継無線施設がありヤット中町側から四駆で登れる。丹波加美線「清水坂トンネル」開通で78号が加美区側へと繋がった道が「小春ロード」。
   主曲輪北東が帯曲輪上に張出す(横矢を意識したものか?)
IMG_5483.JPG
常楽交差点北方に常楽砦<仮称>や弘浪山から移った高山寺がある。常楽から西へ走ると下新庄(内山砦<仮称>がある)、葛野(かどの)川沿い上新庄には南郷城(長尾城)があるが、下新庄・上新庄境から南(関西池田記念墓地公園)へ進む途中の長野(おさの)八坂神社が今回の目標地点。
 主郭西端の空堀土橋
IMG_5545.JPG
氷上町長野(おさの)に慶長年中鎮座し、明治6年村社として素戔嗚尊を祀る産土神の大歳神社が合祀されている八坂神社は柿柴の貴船神社・常楽(常楽砦<仮称>)の大崎神社や三方犬岡の大歳神社・成松の大護神社…等々の各所鎮守社が内尾神社の末社とされている。
  主郭西の土橋付き空堀は西北を竪堀で落ちる
IMG_54411.JPG
氷上町成松の北:丹波国葛野荘は南北朝期:建武4年ー康永2年(1336ー43)足利幕府初代丹波守護仁木頼章・守護代荻野尾張守朝忠の時、葛野荘地頭として知行しているが康永3年(興国4年)尊氏に背き小島高徳と結び高山寺城に籠るが山名時氏に攻められ降伏したが、葛野荘は後村上天皇の興国5年:南朝に寝返った朝忠に知行させているが、荻野氏の領有は短命の筈…‼!。
  主郭東北の竪堀傍には小曲輪も…
IMG_5471.JPG
葛野荘は古くより荻野・本庄氏らの根拠地だが、南郷城を居城として上新庄以西を領有していた土豪:本庄氏の動向を知らず。南朝方として荻野氏らと高山寺城(弘浪山)に立て籠もっている。葛野荘は応永年間石清水八幡の寄進され本庄氏が代官職を請けている。弘浪山の北麓を県道78号沿いに葛野川が流れ、県道を挟んで北の南郷城と呼応する位置に長野(おさの)城<仮称>があった。
  南斜面の主郭下部の二段曲輪:東端を竪堀が…
IMG_5339.JPG
葛野川を挟む北西に南郷城(本庄氏)・北東方の下新庄の荻野氏領か?に新庄城(内山砦)«仮称»、二城の中間地点南側に位置し、人知れず隠されていた新発見の長野城«仮称»の城砦遺構は城域約100m足らず?の中規模ながら砦規模を逸脱している。登路とした八坂神社からの東斜面に切岸を立てる2段曲輪の端を竪堀が、
周囲を段曲輪・帯曲輪・南北に竪堀・東西を堀切りで遮断しているが主曲輪切岸は曖昧
IMG_5405.JPG
主郭南の尾根続きに土橋付き空堀で廻し、空堀端西北へ竪堀を落している。確りした遺構だけに光秀の付城かとも思えたが目前の南郷城が近過ぎる!!?。本庄氏による築城で南側の弘浪山尾根筋からの侵攻は先ず考えられない?ので、葛野川東方(成松・下新庄側)や、播州側(多可町加美区)から清水坂を越えて来る敵方の侵攻に備えたものか…?。高山寺城から笹ヶ峰に至る尾根上に尖峰の東峰山があり、此れより長野への北尾根先端峰に長野城があったが、尾根途中にも堀切を伴う曲輪があるらしい?。平成12年(2000)一度は通過して気付かなかった藪尾根も歩きやすくなっているようだが?、其処が城趾なら時々の臨戦城(高山寺城)攻防も視野に考察する要も…
 城址位置を確定できない:八坂神社背後の低丘陵部・点名長野196mに主郭を置く

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント