石龕寺もみじ祭りⅨ 丹波市

足利尊氏を主人公とした太平記が大河ドラマ化・TV放映されて後、「村興し」事業として発足したのが石龕寺もみじまつりではなかったか?。郷には居なかったので経緯や詳細等は知らないが…今年(2019.11.17)で第30回を迎えた。
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石龕寺(山南町)は高源寺(青垣町)・円通寺(氷上町)ともに、丹波市「もみじ三山」の一。また常勝寺・慧日寺ともに山南三山の一でもある名刹で、いずれも紅葉の観葉寺です。石龕寺は第31代用明天皇の587年:聖徳太子開基を伝える古刹で、
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太子が深く帰依された自彫の毘沙門天王を本尊とし、聖徳太子の兜の毘沙門天像が何処かへ飛び去り、その像を探し求めて石龕寺背後の頭光嶽で見付かった伝承は、地元ではなく他市にわたる西脇市・篠山市境のササバの机峠の伝説に残ります。
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元弘年間(1331-34)六波羅の北条氏との戦いに敗れ京都を追われた足利尊氏が将兵僅か数10騎で丹波路に逃れ、栗作郷の久下氏の援助を受けるが、北条方の追討軍との戦いには金屋の十三塚や、足利橋(二重川)に伝説が残ります。
  銀(しろがね)橋:岩屋谷川が足利橋(二重川)から加古川(篠山川との合流点)に流れ出る
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さらに正平6年(観応2年 1351)京を追われた足利尊氏親子が、再び栗作郷の久下氏を頼って丹波国岩屋の石龕寺へ落ち、2000余騎の兵と共に石龕寺に留まった息子・義詮には「爪あと栗(ててうち栗)」伝承も残る丹波栗の主産地は
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栗の病気?等で絶滅状態!!で能勢や京都丹波に移ってしまったが、丹波岩屋の郷は用明天皇(585~587)の頃より大粒の丹波栗は朝廷に寄進されていたと云われ、いまも中世期頃よりの”テラウチ”ともに手々打栗も数本が品種伝播・研究等に栽培育成されているよう。
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足利尊氏・義詮父子に所縁の石龕寺もみじ祭の、武者行列の当初スタート地点は日吉神社(井原)からだったが、いつ頃か?特に市内最大スペース(駐車場含む!?)をもつJAが各種催し会場となり盛況:舞台も設けられているので、武者行列参列者の紹介を兼ね、
  栗の林が続く石龕寺道
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此処から地区コミュニティセンターに移動し、隊列をくみ石龕寺の山門(仁王門)に向かう。徒歩で向かうコース沿いの左右に見かける石龕寺町石(当ページ内最終部記事)は県指定史跡(昭和40.3.16)です。
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メインイベントとして勇壮な武者の行列が祭を盛り上げていた石龕寺もみじ祭だったが、今年(2019年)の第30回を最期に終了するらしい…。まつりの先導を務められてきた山伏の「護摩炊き」は岩屋石龕寺檀徒により今後も続けられるが…
      毘沙門堂 ↓
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過去の石龕寺もみじまつり”関連ブログを紹介  レポート  ↓
もみじ祭りⅦ 2,015年 http://40437108.at.webry.info/201511/article_12.html
もみじまつりⅥ 2014年 http://40437108.at.webry.info/201411/article_17.html
もみじまつりⅤ 2012 http://40437108.at.webry.info/201211/article_16.html
もみじまつりⅣ 2011 http://40437108.at.webry.info/201111/article_13.html
    石龕寺 仁王門  ↓
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もみじ三山 石龕寺 2010年 http://40437108.at.webry.info/201012/article_5.html
もみじ祭り Ⅱ 2009年 http://40437108.at.webry.info/200911/article_10.html
もみじ祭 2007年  http://40437108.at.webry.info/200711/article_18.html
その他 頭光嶽・石戸山…等の登山・岩屋城(石龕寺城)…等山城関連や史跡・石仏関連の石龕寺記述はありますが…

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