三原城<仮称> 丹波市

高山寺跡(弘浪山)から-長野奥-東峰山は笹ヶ峰へ縦走・また一度は岩稜の下りと藪山トレースに疲れ・時雨混じりと時間切れで、東峰山頂から北尾根伝いを長野集落へ降った事があった。此の尾根筋先端に発見した長野(オサノ)城はブログで報告しているが、取付点とした長野の八坂神社から東峰山を経て
 三角点359m付近よりの三原城<仮称>
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弘浪山(高山寺城)への縦走を「たんばのたぬき」さん・「山であそぼっ」【山ポータルサイトやメールを通じての山仲間だった…】の山行記録を読み返し、以前通過した地点の記憶も希薄だが山城遺構の確認探索に、今度は尾根筋を山麓から辿り再度出掛けてきた。弘浪山から北尾根を氷上町柿柴・長野や、
 三角点は出曲輪か?大手口の番小屋か?(左の尾根筋を登ってくる)
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西へは東峰山からの北尾根を359m4等三角点…を経て長野城<仮称>手前の鞍部まで…広大な丘陵部一帯が私有地(某宗教団体記念墓地公園)のため、尾根筋に至るルートは自治区境だが細い踏み跡を探し辿ることに始まる…が やっと尾根に出ても私有地立入り禁止・と境界を示す鎖フェンスが延々と続く。
 主郭250m程手前の広い平坦地形鞍部の箱堀状は保水力あり天水受け池跡?
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尾根コースを踏み誤る事はないが倒木混じりで荒れ・立木雑木の繁茂で迂回/錆びた薬莢を見てもホッとする程  三角点359mを過ぎてヤット東面に圃場の様な広大な墓地公園が樹々の間に見えてくる。此処が城砦なら番所なり大手虎口曲輪と思える出郭?だが眺望はない。300m程の緩斜面を進んだ先に、
   城域唯一の堀切りと主郭側切岸(約6m)
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切岸はないが幅25-30m程・3段ほどの平坦段、最上部も40㎡程に広く、続く平坦地形との高低差も低い箱堀状鞍部は猪のヌタ場となっているところも…清水を湛えた窪地もあり、天水受け池と広い平坦地は相当数の駐屯基地としても可能?。ただ此処でさえ急斜面を含み随分と麓から離れた高所に位置するが、
  堀切上部の段曲輪
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更に250-300m程の緩衝帯?の先に土塁(堀切り残土を盛ったもの?)と堀切があり、城域唯一の高い切岸(6m)程をみる。堀切から上部に2段ほど。西斜面(三原側)に掛けて3-4段程の小曲輪を見る519m地点が三原城<仮称>の主郭!!?。南尾根城域先端の小平地は櫓台曲輪か?、此れより激上り下りで東峰山へ、
   三原城<仮称>主曲輪
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遠く感じる弘浪山(高山寺城)手前の露岩ピークへは幅狭い岩稜(リッジ)なりカンテ(凸部)を熟して登る個所もあり城攻めに此のルートは無理!!?か。主郭周りの曲輪は東面(公園墓地側)になく・北面の三原側に数段みるが、土塁・堀切・縦堀等の防御施設は無さそう?。旧氷上郡から旧多可郡中町杉原谷へ越える街道!?清水坂(現:清水トンネル)往来も見通せない。
 南端小曲輪(櫓台?)から東峰山へ激降り・激登り!!に境界鎖が延びる…
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葛野川対岸の南郷城を監視・または南郷城出城と考えても、イザ出撃…も麓までは遠く・高過ぎる砦郭遺構の時代・築城主は不明。度重なる高山寺城合戦なり、氷上郡志(上)‹昭和47年>には山垣城の足立足立廣成・政成兄弟(庶流か?)が三原に来住・東方の山上に築いた城砦跡ありとも記されるが、
  麓の墓地公園上部に弘浪山(高山寺城)/左に岩場を抱く前衛峰(無名のジャンダルム)
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「丹波志」姓名の部三原村に足立姓はあるが古城の部に砦の記載は見当たらない?。足立氏の砦?とも思えないが、主勢力の荻野氏/本庄氏/新庄氏?等と相拮抗(あいきっこう)した・いずれかの陣城であった可能性も棄てきれない。南北朝期以来の高山寺城の関連は考えられるが向城か?、防御の砦かも不明。
 地図位置を任意に指定出来ず参考まで。善福寺を表示したが、東峰山への稜線に合流する尾根上の519mは、国土地理院地図等で確認してください

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