勝坂 丹波市

明智光秀の大河ドラマ化決定・放映(2020年)を契機に明智「丹波攻略」関連史跡は各所地元にも関心を得て再認識されてきたところもある。「勝坂」は明智の丹波攻め“黒井城攻略”以前丹波市内に於ける戦国史に継がれる最大熾烈な激戦香良合戦が弘治元年(1555)・香良口付近か?氷上町絹山地区一帯に展開された。
香良合戦異聞と[勝坂]の伝承
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香良合戦の勃発は荻野才丸(直正)が黒井城主の叔父荻野秋清を刺殺し、悪右衛門直正を名乗った天文23年(1554)の翌年。香良に集結した細川氏綱方の足立氏/芦田氏勢力を、細川晴元方の荻野・赤井一党一族が攻めた代理戦争?ともされる”香良合戦”に、敢えて異論を唱えるつもりではないが…
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荻野直正勢力に対し氷上町側の沼や鴨内・香良にまで領地をもつ芦田氏・足立氏庶流の一部や、赤井姓に復姓せず黒井城を本拠に氷上郡(現:丹波市)領主となった荻野直正に対する一部の赤井氏一族や、荻野秋清の旧臣達に不平・不満を募らせる分子もいた筈?。細川氏内乱の代理戦争としての足立・芦田方には内藤氏・三好氏が、荻野・赤井氏には波多野氏勢力が助力・介入したか詳細不詳ですが…
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足立氏庶流の岩本城権兵衛基則<足立氏本拠は山垣城>、沼城芦田上野介光遠も庶流<芦田氏本拠は小室城(東芦田城)>であり、芦田光遠は此の合戦に討死、後:足立氏一族のなかでも基則だけは赤井・荻野方に属さず、遺恨もあってか!?丹波攻めに侵攻してきた明智光秀に付き本能寺の変にも参戦している。
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足立氏・芦田氏等との合戦に負傷し黒井城へ戻る際、絹山地区南東端の山麓(工場の奥)に今は枯れた池跡!!?付近から北油良へ越える勝坂を、此の戦いで足立新九郎に切り立てられ深手を負った直正を足軽?の”坂ノ兵衛”が背負い峠を越え逃れた伝承がある。
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直正が「此処は何処ぞ!!」と尋ねられ、咄嗟の機転か?[絹山から北油良へ越える「勝坂」と申します]との応えに「戦に勝坂とは縁起が良いのう」…と油良坂付近?まで退いたとき、直正は腰の刀「鴻の巣丸」を今日の褒賞にと”坂ノ兵衛”に与えた。「鴻の巣丸」は後:兵衛の子孫により東芦田の某寺に奉納されていたが、此の事を伝え聞いた赤井氏後裔の懇望に「鴻の巣丸」は再び赤井家に戻された…と云う。
  (現地2019年設置?案内板 丹波叢書 由緒を尋ねて<昭和30年>参照) 
  香良合戦の参考にでもなれば・・
香良城  http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBA-godaisan-docu.htm#koura
香良西砦 http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBA-godaisan-docu.htm#kouranishi
香良西砦Ⅰ  https://40437108.at.webry.info/201908/article_18.html
香良西砦Ⅱ  https://40437108.at.webry.info/201908/article_20.html
香良西砦 Ⅲ https://40437108.at.webry.info/201909/article_6.html
(参考位置も表示出来ない:地図クリックで岩見サービス近くの大きな池災害によるものか今は枯池)の上・北油良境赤いマーク上

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