大部谷城 Ⅱ 丹波市柏原町

JR福知山線下滝駅の西で延喜式旧山陰道の県道77号(川代恐竜街道)と、新ルートの77号:篠山山南線が西脇市方面に向かう播州街道。此の分岐点の東に、下滝城・分岐点背後に迫る丘陵西末端に篠場城がある。下滝城の東約600mの上滝集落の谷筋を北に詰め上がると西尾根(馬頭 502m)の出て、金山城に近い西のピークから尾根筋を上小倉に越える小倉坂(往時のルート不詳・廃道!?)。
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むかし金山城から馬頭~高畑山~上滝縦走した際:峠に石仏や付近には数段の曲輪を見た記憶が!!??。市境尾根上とはいえ明智が新築したとされる金山城だが、ともに嘗て在地勢力?の監視砦があったのでは…?。登山の際少し山城に興味を持ち掛けた1998ー2001年頃の素人判断も曖昧…此れ等の諸城も2004年の登城レポートが主。篠場城も篠場川の谷間北方の篠場坂を越えると柏原町下小倉(小椋荘)に出る。
 僅かな窪み(向かいの南下部:大部谷池に落ちる空堀)
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栗作郷の久下氏は全盛の鎌倉・室町初期頃まで小倉庄(柏原小椋荘)をも領有していた。大部谷城は下小倉に降りてきた大部谷池の北方を東西(500m程)の独立丘陵上に立地して、東端の稲荷明神を祀る平坦地(15x35m程)と北東・西石段下に1-2段小曲輪があり、篠場坂やR176 号:鐘ヶ坂の要衝監視・西尾根続き鞍部には僅かに窪む程度の堀切堀切を挟んで南側中央ピーク(無線通信施設で壊滅か?)に
 無線中継施設の中央曲輪(古墳跡らしい平坦地形)
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三っばかり平坦地(中山古墳?)を伴う曲輪状遺構(旧氷上郡分布調査書は此処迄が城域だが!?)更に西端ピーク(188.7m)が主郭か?。東側に一段・北に一段腰曲輪・西に犬走り状帯曲輪?が付く。R176 号を鐘ヶ坂から下ってくると小倉交差点で、大部谷城北麓の県道で奥野々峠を越えれば栗作郷久下氏本拠の玉巻城と、丹波守護代を務めた久下時重二男:弾正忠(池谷)頼直(観応元~2年 (1350‐51)の池ノ谷主計屋敷がある。
 西郭の主郭?と北面の腰曲輪
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久下氏が栗作郷の篠場城・下滝城や柏原町の小椋荘(小倉荘)を領有したいたので、大部谷城も久下氏城塞群の一と考えたいが、応永の乱の敗戦による久下氏衰退に、小倉荘も室町初期には赤井氏(氷上町)等が横領していたか?。明智の丹波攻略では柏原に本陣(八幡山城)があり、大部谷城の向いにある円成寺城(背後に上城がある)からは尾根続きに譲葉山城(織豊系二城がある<何れも仮称>)へ通じ、西に下れば柏原八幡(八幡山城)に降りてくる。
 西郭(主郭部の現状)…単独三ヶ所の分散曲輪からも此処は陣城!?
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円成寺城の西向いにも陣城か?金水寺城<仮称>がある。諸城との関連や築城目的・年代・城主等は不明で推測の域を出ないが、大部谷城の北麓に矢走橋があり矢走川が流れる。”矢走”の字が残る。一帯が戦場となった?とも思えず…此れ等砦群が「明智丹波攻め」の小南山城・金山城・八幡山城を繋ぐ矢文・狼煙による通信網を築いていた…ものとは推察する!!。

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