大石りくの森(天王坂) 丹波市

北近畿自動車道「氷上IC」の東面に露岩を覗かせ目立つ霧山が聳え立つ。八上城:波多野秀治とは親戚筋と云う波多野宗高が築いた西波多野とか!?・波多野神社があり、永禄元年(1558)正親町天皇即位に忠勤を果たし、桐の御紋・桐の旗(此れが霧山の名の所以か?)を賜り贈従三位波多野宗高彰徳碑(大正4年大正天皇の御大典に贈呈!?)もあり、
  霧山城へは峠左・右:分水界を五台山へ
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近江刀根峠で織田信長と戦う朝倉氏に助成し討死した宗高の首塚まであるが?波多野家の菩提寺がない…宗高が実在の人物だったかも判然とせず、戦時の国威掲揚の為の創作!!…か謎の人物と山城の幻の氷上城だが「明智丹波攻め」の頃には機能したと思える霧山城の遺構は遺るが北山麓の香良合戦の一方に荷担した山城なり波多野氏が居たとは再考察要かも…!!?。
 車道下の旧但馬道に建つ阿弥陀堂(報恩碑)
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霧山城の東麓を春日町野山から氷上町桟敷へ県道285号が越える峠が天王坂。元禄15年4月:大石内蔵助良雄(忠臣蔵中心人物)と離別した「りく」(理玖:陸子 顕彰碑・遺髪塚が豊岡香林院にある)が山科を発ち、寺坂吉衛門を伴に京から多紀(篠山)の栗柄峠へと丹波路を豊岡の実家(豊岡城山麓)に戻る際に越えた但馬街道の天王坂に”りくの森”がある。
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「妻りくの駕籠も たどりし花の道」小鼓子 長旅の疲労からか峠に差し掛かったとき激しい腹痛におそわれ近く石清水を汲みとると、暫くすると弥陀の利益か楽になった。但馬に戻った「理玖」は庇護を授かった辺りに但馬の玄武岩に自筆の“南無阿弥陀仏”報恩碑(元禄16年9月吉祥)を立て仏恩を奉謝した。今も阿弥陀仏碑のある
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堂の下には清水を湛える庭池?がある。「理玖」は但馬国境:青垣町佐治宿の大庄屋:内蔵助も世話になったという芦田某宅に立ち寄ることがあれば”お授け願いたい”と托された「形見の盃」・本懐後に届けられた礼状が遺っていた。討ち入り時節が近づくと直ぐ近くの小学校でも乞われて幾度か公開展示されたが、
  藪なかの旧但馬道:「右:但馬…」を示す古い道標がたつ阿弥陀堂前 
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現所持者が「所縁の方にお譲りしたい」と…で今年譲渡先も決まった。家宝を拝見…とはなかなか言い出せないまま未拝見 ご老体だが向学心旺盛で町住民センターから近場の福祉会館に変わった今もサークル活動を長く続けられ、大学の公開講座にも参加されていた…!!がコロナ自粛等もあって1-2年お会いしていない。
 地図は山間地で番地不詳?・名称(天王坂…等)でも検索・表示ない…

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