熊谷西城(仮称) 篠山市

盃山(盃ヶ岳)の展望台からは、山麓の静かで平穏な篠山盆地のほぼ中央部が拡がる。県道140号が諏訪山方面に南下・東へ進む県道301号線沿い篠山産業高校・ハローワーク・篠山警察署・xxx篠山工場等が立ち並ぶ一帯が兵舎跡。嘗て此処が軍都のシンボルとして「篠山歩兵第70連隊」の兵舎や練兵場が山裾に拡がり、
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入隊した兵士たちが厳しい訓練に明け暮れていた事などは夢のまた夢・想像も出来ない。日露戦争後の軍備拡張計画の中で翌明治41年(1908)篠山歩兵第70連隊が編成され、篠山に新設された兵舎に移駐されて以来、日中~太平洋戦線へと終戦(1945年敗戦)までの約40年間・兵舎の背後に聳える盃山へは、
  浜谷池の東屋休憩所からスタート
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朝駆けや多紀連山を舞台としての山岳訓練により兵士達は勇猛果敢な「丹波の鬼」として勇名を轟かせたといいます。県道沿いの篠山産業高校東隣には戦時期に派兵された将兵を見送り・多くが戦死した暗く 悲惨な歴史を語り継ぐかのように、古びた赤いレンガ積みの営門や記念石碑が建つ。
  城域北先端:左右交互の片堀切
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車道を隔てて篠山産高の農場・スポーツセンタや新丹波荘のある場所が練兵場。県道301号「東浜谷交差点(GS前)」を左折して浜谷池への直進道路を入って直ぐ右手の森(某会社正門前北側)が藤井居館(浜谷館)・此処から幅狭い尾根筋に遊谷城があり、尾根筋を北に辿ると排水施設があるが北山麓に降りると、
 城域北端外側土塁から大堀切
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更に北に延びる丘陵に挟まれた東浜谷集落(熊谷・郡家ー東浜谷間を結ぶ地区道沿い)東入口付近に降立つ。この集落北尾根を辿ると遺跡分布地図に記載のない結構大規模な城郭遺構が隠れていた。城名を東浜谷城(仮称)としたほうが判りやすいが、地図により町界尾根筋の城域が「熊谷」とある。熊谷には熊谷城があるので熊谷西城(仮称)とする。
  段の曲輪:中程の堀切から
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東浜谷集落を挟んで南北の丘陵上には南に遊谷城・北に熊谷西城(仮称)が呼応?するが、築城時期・城主等の城史は不明!?。八上城西部の防衛拠点として今福・畑郷に勢力を持つ野尻畑氏の掃門・豊後・伊織等が拠った盃山城(盃嶽砦)の支城群の一つだろうか?。天正6年(1578)頃には明智光秀軍による八上城周辺の城攻めに
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矢代城・遊谷城等と共に落とされた衰えた畑氏一族の城砦群の一つか?。取付を盃山登山口の八幡神社横から延びる林道から浜谷池(二つある池間の堤防を渡って)「浜谷水辺の森」の休憩東屋から直接急斜面に取付き、竪堀状の溝沿いに稜線を目指し、尾根上部から城域を抜けて南下し東浜谷集落へ降りるつもり。
 熊谷(藤岡川側)から熊谷西城(中央)を望む
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尾根幅は広く直登してきた西斜面には幾本も自然地形の竪堀状溝を見て進む!!、左右の片掘切の先:いよいよ正面に土塁と大堀切を越え切岸を上ると主曲輪に着く。顕著な腰曲輪・帯曲輪は見ず、尾根沿いに段曲輪を直列に並べ継ごう三本の堀切をもつ全長150mほどの規模の城域だが、
  新宮古墳と碁石塚・亀塚?が並ぶ…
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緩斜面となった先にも2ヶ所ほど2-3段の削平段があり、何れも曲輪段の手前に排水溝?をみて 排水溝・段差は小さいが二ヶ所ほどみて、熊谷側へ降り・後は南への直線道路を郡家の新宮古墳(新宮神社・丹波最大級の円墳と云われ周濠跡の田圃も印象的!!)へ出た。

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