高山城 Ⅰ(再訪1) 篠山市真南条上

JR古市駅近く:油井城を本拠の酒井党は近在に当野・矢代・初田・波賀野・栗須野…等酒井党の山城がある。八上城主波多野秀治の義弟で八上城落城時の守将:二階堂秀香が油井城主:酒井守重(重貞)の二男:氏重。R176(丹波の森街道)からJR古市駅の先で右に折れ、R372(デカンショ街道)沿いの京街道を東へ走ると、
 岡崎山砦西:円応寺背山から:中央平野部奥:二村神社・順手山砦(右手の小丘)・左端手前が高山城
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篠山城築城時の主要な採石地栗栖野の残石公園を過ぎる。近くには助太郎屋敷(真南条下館)がある。「丹波のむかしばなし」にあり歌舞伎脚本のなかの”丹波国助太郎館”が此の:鼻の助太郎の屋敷だったのでしょか…?。みちくさ!が過ぎるようなので直接高山城へ急ぎましょう…。
  竪堀状大手道?(山道)から土橋付き堀切へ…
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栗須野の先で直ぐ真南条…右手に二村神社の鳥居をみて「龍蔵寺→」への入口を示す案内標識がある。地区内の狭い道:公民館向かいにまなんじょう農家レストラン あかじゃが舎があったが閉店、5-6年前には「村の駅」農村コミュニティーセンターに変わっている。
 河村稲荷への二本の鳥居(朽ちかけ鳥居と鳥居残骸が残る)間の土橋付き堀切
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西に間近の森!(丘陵先端部)から取付けば城主:河村嘉高(波多野氏家臣)を祀る「河村大明神」を祀る「高山城」主郭への参道が通じており、平成4年頃までは壊された祠の建材が曲輪内に残置されていた。登城前に少し余談を… 龍蔵寺は文保寺(味間)・高山寺(矢代)ともに多紀三山と呼ばれた名刹(多紀は多紀郡:篠山市の旧郡名)。
  主郭内に立つ高山城碑
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狭い道を抜ける車道の先に見えてくる低丘陵・太平三山の一:愛宕山付近から北に延びだす尾根先端のピークに真南条上城(高山城)がある。太平三山は「三国ヶ岳・愛宕山・中尾の峰」を指し、車道終点の愛宕山山麓に太平山龍蔵寺(天台宗)がある。大化年間:法道仙人開基を伝え・三山が修験道場として栄えていた。
   主郭南端を低土廻る廻る
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三田市側母子(もうし)に境する三山だが嘗て此処を越えた街道筋は有った様だが現状不明?。弘治3年(1557)兵庫丹波に攻め込んできた三好長慶・松永久秀軍と交戦した「龍蔵寺合戦」の際:兵火により焼失します。このとき愛宕山の山腹に在った龍蔵寺の僧坊堂宇を城郭化して波多野氏が籠もり迎撃:対抗したと云うが?。龍蔵寺城は高山城であったと考えるか?、其の高山城(真南条上城)の東山裾を南奥地に詰めて行った先にある
  主郭:城趾碑の西斜面:大手虎口側の竪堀状!!(中程)
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龍蔵寺城を攻める為に三好方が築いた付城であったとも思えるが果たして…?。三好長慶軍が攻め落とした「細川両家記」による龍蔵寺城が此の高山城を指すものかは分かりませんが…。後日:龍蔵寺への入口・高山城を正面に見る「岡崎山砦」の縄張りからは、此処が龍蔵寺合戦の三好勢力の付城として、
  主郭:城趾碑の西斜面下の二段の広い曲輪!?
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龍蔵寺城が其の入口要所にある高山城とも思えてくるが…永禄9年(1566年)波多野秀治が八上城を奪還するまでの10年間を多紀郡は三好氏が支配するところとなる。その後は波多野氏の八上城支城としての真南条城(高山城)を波多野氏家臣:土豪の河村紀伊守嘉高が改修して拠ったか!。河村氏は永正年代(1504~)以前:因幡国(鳥取)八上郡より波多野氏等と共に丹波に来住した重臣の一人とされます。

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