谷村城 丹波市氷上町

加古川(旧佐治川)沿い稲畑錦橋を渡り 県道109号に出て右折したところで車道が二分する。右手は直接侵入出来ないが狭い集落内が嘗ての但馬街道らしい?城下町風情:後谷城主:赤井忠家墓所(施主は忠家6代の孫:赤井彌十郎直矩)もあるが県道109号が街道筋だったが?道路拡張工事で破壊された古墳跡らしいところが3-4ケ所ある様?だが旧街道筋が現:県道に付けけ替えられたものか?。
 谷村砦(小山砦):県道から…
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一帯は「赤井野」と呼ばれる赤井氏発祥地。後谷城・背後の白山には後屋山城があり黒井城主:荻野直正の生誕地。幼名:才丸は荻野家養子に迎えられ荻野家本拠:朝日城の盟主となり…黒井城主となり荻野悪右衛門直正を名乗るが、元の赤井姓に戻ったことを示す古文書等はないが、江戸時代以降の絵本太功記挿画の勇壮な武者ぶりや、黒井城「石踏みの段」の赤井直正顕彰碑や旧氷上郡志等によるものか、
 城域最北(後谷城側)の広い曲輪
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未だ「赤井直正」表記で通されているものが多い…!!?。直正の兄:赤井家清は春日町に境する氷上町側の香良合戦に討死。家清の家督を継いだ兄の子:忠家を補佐し、黒井城に入った忠家を立て直正は一歩退いている。忠家も赤井悪右衛門を名乗っているので・直正を赤井悪右衛門…と呼ぶのは語弊ですネ。白山(後屋城)から東へ延び出す山の尾110m程に字「二の丸」と呼ばれる所があり、一帯に連郭帯があり鎌倉時代後期:赤井氏の谷村城が在ったと云われます。
 主曲輪群の尾根筋切岸下(3m程)の帯?曲輪or腰曲輪!?
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現状は谷村から家臣屋敷が建ち並んでいた広大な平坦地形に後谷館・後谷城から白山神社・鷲林寺・伊尼神社を抜け県道109号新郷へ抜ける車道で分断?され比高25m・南北150m・東西100mに充たない極小独立丘陵がある。谷村城(砦)は南西丘陵部(関電送電線鉄塔<氷上支線No.10>や秋葉神社のある)二箇所の尾根先か?、後谷館裏手から白山(後屋山城)に至る尾根上と考えていたが、
 西斜面境沿いの土橋:手前は曲輪跡か?広い平坦地形
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沼貫(ぬぬき)郵便局の県道を挟んだ斜向かい北西側から山際南面に2-3墓地があり、県道沿いには運送会社所有地か?広い空地と工事用トラックやフォークリフト等が置かれていたりするが…!!?。東面墓地の上部にある古墓?(荻野姓が殆どの様だが)直ぐ上に小曲輪(街道監視・番小屋か?)から西面際の藪中の土塁道状を進むと小広い平坦地(下方が会社地なので改変されているかも?)を抜けると、
 
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数段の曲輪(一部は西面に一段<帯曲輪!?>付く)が北方に掛けて並ぶ。詳細に観察できていないが方形に整形された曲輪もある(再訪要)。背後の後谷城警護を兼ねた谷村砦(小山砦)は、谷村を北に抜けた新郷にある「新郷砦<三砦のうち>愛宕権現社を祀る南砦とともに、南北二つの砦により赤井氏一族の後谷城南口と北口の街道監視と警護の砦…また新郷には「市」も立ち、市場警護の砦であったとも推察する
   城域最南端の監視台曲輪か?
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