山上城上郭東の砦 篠山市福井


先のブログ「豊林寺入口砦(仮称)」に豊林寺城(大芋式部丞)・福井居館/福井城(森本筑前守)・山上城(山上左衛門尉)や藤坂城(中馬越前守)…の当地土豪大芋衆の山城の所在について列記した…。豊林寺の北から東面を囲むように南へ延びる尾根中程の峰の南にある小ピーク付近の福井城を経て尾根先端の裾にから福井居館がある。福井居館から詰めの福井城、更に尾根伝いの山頂にある豊林寺城へと二段式なり一城別郭の詰め城形態になっている。
  山上城(上郭):東南帯曲輪から主郭(曲輪下東西には硅石採掘跡)
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藤阪への分岐点は目の前に見えるR173号板坂峠(トンネル)を越せば船井郡瑞穂町・府県境の藤坂城や此れから向かう山上城(中村城)も同様に中腹の下郭と山上部の上郭(詰め城!?)二段式になっている。福井交差点を挟んで東方に見える三角屋根の時計塔があり、多紀郡内初の鉄筋コンクリート三階建てだった大芋小学校も平成28年(2016)多紀小学校へ統合され閉校”泊まれる学校おくも村”として宿泊施設として再出発。
   山上城(上郭)東砦:西小曲輪から主郭切岸
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「福井」交差点は藤坂川がR173号(綾部街道)側に流れ出て、近年「案山子の里」として知名度が上がった!市野々方面からの篠山川源流に合流する地点。市野々も船井郡丹波町で園部に繋がる府県境で、南へは籾井城への間道も通じ、小谷城や市野々城(かいやま城)<仮称>がある…。尾根続き?に近接する二城も姻戚関係にあった森本氏/山上氏に縁続きの大芋衆(小谷城は福井城の森本氏…)。
    山上城(上郭)東砦:主郭
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京丹波境にあって綾部・舞鶴から若狭・丹後に繋がる街道(R173号)を挟んで福井城・山上城が要衝監視に当たっていたものか、いずれも大芋衆の城郭に見る形態の一城別郭と思えてくるが、山上城(中村城)の築城は室町時代末期:永禄年間(1558-70)山上左衛門尉秀本によるものと云う。既に八上城主波多野氏麾下(支配下)にあった大芋衆の城砦群だが、居館・詰めの山城の更に丘陵上方にも
  山上城(上郭)東砦:主郭北尾根側の片堀切
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城郭を築いた一城別郭は領内監視より・京都丹波側からの侵攻に備えて多紀郡北方の守備固めの任に当たったことでしょう。明智光秀が侵攻してきた”八上城攻め”の際は其の子:助之丞秀勝が守っていたが落城後は父子共に明智光秀に降り山崎の合戦後は此の地に戻り蟄居していたと云う。秀本の子:助之丞秀勝と喜兵衛秀家は文禄元年(1592)豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)に従軍したと云う。
   山上城(上郭)東砦の主郭切岸下:北尾根側の片堀切と上り土塁(右端中)
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旧大芋小学校北方:正面に建つ大芋駐在所横の坂道を登る登山口に”上品山蓮台寺観音”山門石標柱が立つ。坂道手前右手に石積の濠ある民家も如何にも居館跡。此より染み出す水が流れる荒れた林道となるが、左手に広い平坦地と一段上に「観音堂」と石仏等が祀られている二段の削平段が山上氏の居館跡。上品山蓮台寺は天正期:山上城主だった山上左衛門尉秀本が落城後の居館内に創建したらしい!?。
  旧大雲小「泊まれる学校」壁面画は”藤阪の大桂
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更に宝永年中(1704ー11)高野山に上り出家して権大僧都法印快辨と名乗った在地出身者が蓮台寺を中興したと云う。多紀郡西国第15番・多紀四国八十八所第7番霊場で、明治6年(1873)設立の塾:啓蒙舎跡が大芋小学校発祥地であり、新校舎に移転後は保育所・幼稚園ともなった様。廃道となった林道は左右に分岐するが左は山上城上郭へ・右手は南方に折れ配水施設らしい施設を見れば直近が下郭だが、
     上品山蓮台寺観音堂と居館跡(啓蒙舎跡・大芋小学校発祥地)
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どちらも以前訪城済みなので上郭部から東へ延びる尾根上410mピーク?を目指すのが今日の目標なので、尾根筋が判然としない傾斜をひたすら詰め上がることにした。豊林寺城の周辺にも見掛ける岩場・硅石採掘跡を見ると、直ぐ山上城上郭の北東端の片堀切と堀切下部の鞍部稜上に着く。山上城上郭へは此の後:引返して立寄るが下郭・上郭ともに以前HPにUP済みなので此処では割愛。
  山上城上郭帯曲輪から:主郭南の土留め石(土器の小片2種も見掛けた…!)
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410m山上ピークまでは単調な200m程の尾根筋だが、城郭遺構の期待感が薄れると意外と長く感じる。傾斜と同化?した低い切岸上に15㎡ほどの方形マウンドが”山上城上郭東の砦”主曲輪で、一段下周囲に4-5小曲輪(棚状?)が付く。南尾根は幅狭く激急斜面を下るだけだが、北尾根側には通路の上土塁と西に空堀と土塁(小曲輪)、30m程下部(比高10m程)にも一曲輪がある。R173号小原から山域北麓を小倉や宮代へ越える(狭範囲だが眺望は効く)辺境地だが・在地国人領主にとっては領内の間道監視の重要な適地なのかも?。

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