白童城 丹波市氷上町

R175号稲継の「錦橋」交差点を左折し県道109号に合流する一帯が黒井城主:荻野直正(幼名:才丸)出生地の赤井野(赤井氏発祥の地)で右折して200m程・正面の小丘谷村砦(沼貫湯便局)前の抜け、成松・常楽交差点を過ぎると粗(ほぼ)直線道路となり「御油」交差点で、R175/R176(多田バイパス道)が合流し県道7号に繋ぐ「稲継」からの車道に合流する。「御油」の名からは円通寺に寄進された灯明田なり、式内社:神野神社(賀茂別雷命)の燈明料所として寄進された所と云う…。
  芦田氏菩提寺の明勝寺
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ともに西方の丘陵山麓に円通寺・神野神社はある。円通寺から北方への尾根伝い:芦田氏の沼城に繋がる主尾根筋から東へ派生する枝尾根が御油の神野神社側と・東北へ延びだした先端部が沼集落の落ちる:此の尾根筋に”白童城”があり、氷上町沼集落の最奥に天正山明勝寺(曹洞宗)の南正面丘陵上にある。「明勝寺」は沼城主:芦田光信(上野守光遠の二男?)により永禄6年(1563)創建:円通寺11世団芝大和尚により開山された芦田氏菩提寺で光信夫婦の墓碑がある
  白童城遠景
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(* 光遠は香良合戦<1555年>に討死・光信は天正2年(1574)討死したことになっている!?が何処での合戦なのか史実は不詳!?。翌3年なら明智一次丹波侵攻(1574)が始まるのだが。光信の墓碑建立は寛永年中没の二男家次<昭和47年版:郡誌に光遠二男とあるが!?寺に位牌あり>によるものか?)北背後の丘陵から北東先端(北近畿自動車トンネル上や県道7号側送電線鉄塔)までの長い尾根上5-6ヶ所に曲輪遺構を載せる芦田氏の沼城がある。曲輪が数カ所に分断されたように分かれているので主郭がどこなのか?。連郭?として一体化した城なのか?・単郭の砦群(香良合戦の芦田氏方陣城)なのかは不明だが、
  段曲輪群?の先に秋葉神社の平坦段
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主郭とするなら比高は低くなるが南西端の曲輪が主要郭の様子。芦田氏勢力下にあったか?”沼・御油”と加古川を挟んだ東には鴨内も芦田氏:其の南丘陵部を日比宇や加和良神社を囲むように足立氏勢力下にあった?と思える伊佐口・絹山・香良等…集落がある。南に丘陵部を挟んで北油良・南由良集落、その南へ越える峠は春日町牛河内へ下る。目と鼻の先に千丈寺砦と黒井城を望む。 
 片堀切を越える先にも古墳?(曲輪?)
  
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春日町の荻野・赤井勢力:氷上町常楽・成松・新郷…の赤井勢力VS御油・沼・伊佐口・香良…に終結した芦田・足立勢力図を想定していただければ香良合戦の戦闘配置が見えてくるかも…!!?。更には香良合戦少し前か?:芦田・足立氏?勢力が賀茂を境?に沼・御油から、赤井・荻野氏?勢が激突した常楽・新庄付近で展開された「新庄・常楽の戦い(丹波志等でも不詳!?)」がある。
[白童城]石碑と五輪塔残欠が残るが主郭は更に先の先!!
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どちらの戦闘も:在地古参の足立・芦田氏同様、急速な荻野・赤井氏一族の台頭に危機感を募らせていた三好長慶・松永久秀・丹波守護代:内藤宗勝(松永長頼)等が介入し足立・芦田氏を煽動したものか…!?。以前に円通寺からの尾根筋に発見した井中城(仮称)は山上部(4等三角点:南御油)の曲輪とも見えない平坦地形に比べ東斜面に10本ばかり畝状竪堀群を並べる特異な縄張りの城砦。
 櫓台状は古墳マウンド利用の曲輪・主郭部は近い
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白童城も同じ沼城に通じる主尾根上に城砦痕跡がないのが疑問だが、明勝寺側へ100m程下った枝尾根筋に4-5段の曲輪がある。山頂部に主郭を持つが曲輪段が一方向しか向いていない常楽砦(新庄・常楽の合戦の赤井方)や、井階山北砦(香良合戦に鴨内側を警戒の砦?)…の例からは井中城・白童城も其の位置からは二つの合戦に赤井方に抗した芦田・足立方の陣城か?。 
  主郭:4段ほどの曲輪段・手前脇には主曲輪段に繋がる土塁線が…
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御油交差点からは鴨内への分岐を過ぎ沼郵便局の先を左折し西へ直進する「明勝寺」への道を採る。明勝寺南側の墓地からは藪地の中の獣除けフエンスを開閉して入ると直接「白童城跡」碑が立ち五輪塔残欠もある曲輪に出るが主郭部は更に尾根筋を辿る。分かり易いのは枝尾根先端部に建つ「沼一組集会所」を東南に回り込み石壇参道から尾根筋を進と「愛宕の権現堂」?らしい祠を見る。尾根先端部の監視所か?。やがてフエンスと堀切を越して櫓台(古墳か)状からの起伏を過ぎると広い平坦地に「白童城跡」碑を見る。
  主郭の上にも土塁に囲まれる様相の広い平坦地がある!!?
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北へ尾根を下る先端部にも古墳?下にテラス状曲輪がある。左手へ下降すると明勝寺前の墓地に出る…白童城跡碑の曲輪からも広く長い尾根筋に曲輪らしい平地が延び、愈々核心部・堀底道状が続く先には切岸を立てる曲輪段(4段程)の後方には比較的緩斜な主尾根筋に出る。右に沼城へ・左は井中城(仮称)に繋がるが見通しの利く尾根筋:此処に城遺構がないのが腑に落ちないが赤井勢力との境目(香良合戦)を意識していた陣城なら、沼城・井中城との中間に位置し迎撃意識の城でもないので尾根上に築く要はなかったかも?。沼地区は名の示すとおり県道筋までは嘗ての沼地…、曲輪段や土塁状?は単に山道が付替えられたか?…「白童城」碑は立つが疑問もあり城郭類似遺構として置く方が無難かも!!?。
 
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