最明寺南ノ砦(仮称) 丹波市市島町南

前回(2021年7月)日ヶ奥渓谷側から天ヶ岳城(仮称)を再訪したが、以前に役行者像の曲輪下段から北方のズリ落ちそうな激斜面を市島町南の山麓を走る舞鶴若狭自動車道の車幅拡張で削られた山肌を見せる南山麓に降りた際に見付けた砦跡へも再訪した。
  南公民館から南ノ砦と天ヶ岳城(山上部)を望む
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小富士山・阿陀岡神社の鎮まる小多利の東:日ヶ奥トンネルを抜け市島町南・喜多を抜けるまで自動車道を山側に抜ける隧道は3-4箇所しかないので集落内から土地勘がないと山に向かう狭い道が分かる筈もなく…日本道路公団管理の有刺鉄線バリア沿いを越すことも出来ず
  最明寺南ノ砦(最先端曲輪から望む現:最明寺)
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…Google Mapによる追跡も途中で侵入出来ず立ち往生で行き着けない…。前回は城趾より道路公団管理標識のフエンス沿いに雑木藪を潜り・配水溝沿いに旧(工事建設時使用の?)道路に降立った所に「旧最明寺旧跡」石碑が建つ。現在の最明寺からも南正面に位置する丘陵山腹部なので最明寺南ノ砦と仮称する。
   明智の付城か? 北先端部切岸と段曲輪群
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市島町南地区には所在地や築城年代:城主も不知だが南村城・南村砦の名称を蒐集しているが他は情報皆無!。此処が南砦か?南城かも不確かなので表記の城砦名を仮称する。現在の瑞應山最明寺(曹洞宗)は舞鶴若狭自動車道建設により約500m北方の丹波小富士を望む高台に移転されたもの。
   最明寺南ノ砦の南端大土塁(上り土塁で越える!?)
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旧最明寺は鎌倉幕府第5代執権「在職 寛元4年(1246)-康元2年(1256)」の職に就いていた(西明寺入道)北条時頼が丹波行脚の正嘉2年(1258)のことと云う…。弘長元年(1261)庵を結んだのが元:瑞應山最明寺(真言宗)の創建と云われるが、諸国遍歴…や庵を結ぶ等の巷説はあるが寺の位牌にある入寂月日に差違はあるが弘長3年(1263)「最明寺…道宗」…とあるので、伝説の類いではあっても一概に無下出来ない…。
   最明寺南ノ砦(仮称)山側の土橋状
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最明寺から正面真南への狭い道は:そのままズバリ自動車道隧道・施錠フェンスはあるが歩行者用を開閉(春日No19?)して抜ける、舗装道を左折すると直ぐ下草に覆われた長い階段山道をとり、さらに高速道路管理境界線のフエンス横から続く長い階段山道を上りきった尾根先端部:切岸のある最下段曲輪から上部尾根筋に6段ほど段曲輪群が、城域尾根側の南端部の大土塁まで続く。
  最明寺南ノ砦:大土塁山側は左右に堀跡はあるが広い自然地形?
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大土塁前後の土橋状を越えると土塁内側(山側)の左右を堀切るが、広い平坦段は削平はなく自然地形か?徐々に傾斜を増してくる尾根筋は、そのまま山上の天ヶ岳城に繋がるよう。大土塁を越える前後の土橋状は後世:南地区の人が山仕事や天ヶ岳山上に祀られる行者像への参道として利用されていたらしい。
    最明寺南ノ砦:大土塁と山側の空堀
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