八百里城 篠山市瀬利

兵庫丹波の二傑として”丹波の赤鬼”として恐れられた氷上郡(現:丹波市)黒井城主:荻野直正と”丹波鬼”の直正配下の国人領主達、多紀郡(現:丹波篠山市)には八上城主:波多野秀治がいた。室町幕府の実権を握っていた三好長慶や松永久秀・松永長頼(内藤宗勝)ら三好一族が奥丹波(氷上郡)・中丹波(多紀郡)に侵攻し永禄2年(1559)には波多野氏を没落させ多紀郡を掌握していたが、
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やがて氷上の赤井・荻野氏や多紀の波多野氏が台頭してくる。永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、義昭が征夷大将軍に任命されると荻野直正・波多野秀治らは信長に従ったが、信長が義昭を京から追放すると、黒井城主:荻野氏らは信長から離叛します。但馬山名氏が丹波(氷上郡)に侵攻し・其れを撃退し反対に但馬竹田城を落とし本拠の此隅山城(出石)に迫ると山名氏は信長に救援依頼。
  南端郭の二重堀切の一
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天下布武:丹波国攻略の機を得た信長は明智光秀を主将に、織田信長に従属していた八上城主波多野秀治らとの「第一次黒井城合戦 天正3年(1575)」戦闘が始まったが、翌:4年1月波多野秀治により突然明智軍の背後を突く「呼び込み戦法」に光秀軍は総崩れ…。明智光秀を信長に対する謀反人とする前に、既に信長が将軍義昭を、山名氏の行為も
  南端郭の二重堀切(手前と左上部)
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やがては自分に降りかかる但馬国攻略を読めぬ裏切り行為も…。波多野氏と荻野(赤井氏)とは婚姻関係(波多野元秀の娘・後妻は近衛家から)にあり、波多野氏と北播磨:三木城の別所氏とも婚姻関係にある。光秀(信長も…)も自分のことは棚に上げても波多野氏に対する怒りは相当なものがあったのかも?。転戦・転戦で忙しかった光秀も天正6年には秀吉の三木城攻略作戦同様に、八上城周辺に付城を築く包囲作戦で、黒井城落城2ヶ月前に開城した。
 二ノ曲輪左端の上り土塁から一の曲輪へ
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八上城を取り捲く波多野氏の枝城としての八百里城に畑氏・油井城(丹南町)を本拠の酒井氏・籾井城(福住)には”丹波の青鬼”籾井教業(のりなり)が、福住から京都丹波の福知山市・綾部市方面に向かう綾部街道の北方:細工所には細工所城があり”荒木鬼”の荒木氏綱…等、共に比較的規模の大きな山城群がある。八百里城への道順の一つを紹介:八上城下でR372号を北上し 篠山川を渡る702号線に入る。
  一の曲輪から南へ延びる枝尾根側に数段曲輪が…
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車道に迫る丘陵上に塚ノ山砦・勝山砦・東に般若寺城が八上城を窺う明智軍の向城として横並びに並ぶ一帯。般若寺手前北に向うと大渕館(土居の内)を抜け301号線に合流すると八百里城の登城口:瀬利の集落。畑氏所縁の旧家だろうか!!?堂々の朱を残す長屋門を遺す御屋敷横を通って八百里山を望む登山口には”篠山五十三次石碑”と城跡案内板が立つ。此処から主曲輪の八百里山442mまでは比高約200m。 南に張出す曲輪からの竪堀!
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山容の美しさ・標高・比高 ・山頂主郭部縄張りの規模や遺構の残存状態・城史に燦然と輝く?畑氏の山城は八上城と比較しても遜色ない?城だが、同じ「八」の字ながら知名度に於いて随分と劣悪な状態に置かれている不運な城です。登山口から直ぐ見えてくる一段高い位置に祀られる歓喜天(お聖天さま)の祠横:正面の赤い鳥居「八百里稲荷神社」を潜って山道に入る。
   主郭北端部の大堀切
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谷沿いの道は稜線に近づくと竪堀となり参道部の堀底道状と並んで稜線の尾根道に着く。主郭部の山頂を目指す前に左折・山麓から見た南尾根先端部に小曲輪と二基の円墳マウンドの曲輪!?尾根続き北端には大土塁を挟んで二重堀切がり、大手道!?登山道と尾根筋で合流して稲荷社祠が石垣前の石造台座上に祀られている。
 八百里城主郭最高所(442m)櫓台曲輪!?
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覆屋は崩壊し祠前・横穴式石材・石組を遺す二基の古墳の間に放置されていたが、古墳の存在さえ雑木藪と化した曲輪内に埋もれ存在感を喪っているよう!?。途中二箇所ばかり曲輪群が点在。愈々山上主郭部の連郭群に入る右手:東斜面に畝状竪堀群?を観る。広く綺麗な削平段・上段に入る高い切岸…八上方面に展望が開ける唯一?の曲輪からは西南の短い尾根側にも2-3段曲輪を観る…が下方に削平甘いが4-5段の曲輪と竪堀を2-3観る。
  主曲輪南端虎口から仕切り土塁と北面土塁
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主尾根の此の上には北面を土塁が廻る主郭があり、主郭部北に大堀切・その北の土塁曲輪下に2段程の曲輪と竪堀!?、西にも綺麗な曲輪が2段ほど…以前に比して藪化が進んでいるようで主曲輪の土塁全体が掴み辛くなってきた。
何年ぶりかで八百里城を再訪した…がブログには未だUPしていなかったので此処に再掲したが、城史変遷等はHP八百里城に譲ります。
  二ノ曲輪が「家中の台」と呼ばれた城主の屋敷か?、八上を望む展望所でもある
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