牧南城 市島町上牧

三塚史跡公園手前でR175「市島支所前」交差点を右折し鴨庄川沿いの県道59号(市島和知線)に入る。喜多の長谷山城南裾を抜け舞鶴若狭自動車道高架下を潜れば「鴨庄」中心地。旧街道筋の鴨庄小学校北正面丘陵上には上牧城(仮称)があり、
ともに畝状竪堀を残す遺構は兵庫丹波の領主の山城に例は少ない(有るかも知れないが?)。
  上牧から:右に日内城/中央奥に虚空蔵山と正面の上牧城との間が戸平峠
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上牧城南麓の県道59号は戸平峠を越え京都側の三和町へ向かう。南麓を南へは県道541号が終点の神池寺に向かうが、左手奥の日内城山麓には河勝山正法寺の大屋根が見える。山号名からも藩政時代は川勝家の領地だったところ。県道541号神池寺線の左手側には西山城・地区道を西へ進むと岩倉城…がある。直政の訃報の極秘を光秀に探知されると:天正6年(1578)黒井城攻略に天田郡(福知山から市ノ貝-上鴨坂を経て白毫寺道を小野木茂勝が、宮津方面から明智光春が上竹田から市島・勅使…から、三和町千束から戸平峠を越え迫る藤田伝吾行政の<大軍が三方から押し寄せ多勢に無勢:次々と落城。
 県道59号「上牧」交差点から正面の牧南城を望む
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戸平峠を越える府県境:市島町現:鴨庄一帯の城砦群の多くは、そのまま黒井城攻略の付城に転用されていったよう…。西山城から岩倉城…を経て山裾を西へ向かう地区道側に:これより向かう牧南城(仮称)があった。先に”上牧城”(仮称)とした山城がある。上牧は明治期に牧村・上村を統合し上牧となったところで小学校・役場・保健所・駐在所の所在地がある鴨庄の中心地。「上牧」交差点の南正面約200m程・圃場を抜けた地区道に落ち込む丘陵上にある遺構を”上牧南城”としたいところだが…。
 尾根中腹の先端部を捲く土塁空堀状は山道?…塹壕兼用?
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旧牧村が所在地東端・上村は西端なので場所に誤解が生じやすそうなので、単に「牧南城」としても間違いやすい?ので水路の「縦井根」を城名にしてみたいが…!! 「牧南城」へはレポート冒頭に期したルートがわかりやすい。県道59号は旧地区道の避けるバイパスで南側へ迂回する曲がり角が「上牧」交差点。鴨庄川を挟んだ南正面に小さな集落があり奥地に圃場が続く東西に丘陵が延びている。
  尾根筋先端曲輪の土塁・堀切
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丘陵部西には二森神社・山麓南奥に貯水池があり「縦井根」水路が谷間の中央を北方の鴨庄川へ流れ出る。丘陵部東には厳島神社がある。「氷上郡志」に:上村の南山中腹に京の賀茂明神が飛来し「賀茂ノ尾」と称する所と云い伝えられる所がある…と。其の場所が此処だろうか?。鴨庄の名も此の伝承に由来するのかも…牧南城へのもう一つのルートは小富士山城東麓(小富士山神社)近くから、
 二つ目の曲輪は堀切を背にした櫓台曲輪!?
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先日寄った最明寺南砦への入口・市島町南を抜けてくる地区道が「上牧」交差点で合流する。”牧南城”へは丘陵東側の厳島神社側からと思うが、西から尾根先端部への直登を…と考えたが獣避けフエンスが尾根先端・左右の集落山腹に廻らされて開閉扉も少ない。丘陵西面奥の貯水池からは城域中央付近の尾根に登り着くが人跡稀なうえ・入山禁止状態!!で薦められない…が近くに鴨っ子の「国蝶オオムラサキ」飼育の会の杜がある。
  尾根筋東端に唯一の竪堀!…?
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さて:西面圃場から観る城域は上方から起伏のない”流れ尾”が北先端の地道に落ちる。此の先端中腹部を土塁囲みの空堀状が東から尾根筋を廻り込む。地形図を見ても分かるが:東西の集落を繋ぐ生活道路とするには小さな丘陵部先端部なので、わざわざ山腹を廻るより山裾を通る方がよい。山道なら先端部からか・左右の集落から先端部に向かわず直接尾根筋中程!?へ進む方が利便性に叶うのでは?…。
  最高所の主曲輪も土塁から尾根続き山側に堀切
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尾根筋には顕著な山道はなく踏跡も薄い…。領地支配の地侍の城砦というより県境の戸平峠を越え鴨庄川沿いの往来監視の付城と感じる。直ぐ西方の最明寺砦や長谷山城・畑山城・矢谷城…等の梶原城砦群は明智光秀本陣の小富士山城背後の警備と福知山・綾部方面から六人部(むとべ)や福知山市街地から塩津峠を越え竹田川沿いを警戒する付城群。
   最高所主曲輪の土塁と尾根続きの堀切
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牧南城遺構は尾根筋に間隔を空けて単郭(幅10m充たない小さな1-2段曲輪・二つ目の曲輪は堀切前に幅のある櫓台土塁!を設けている。最高所の郭も尾根続き背後に土塁と堀切があるが、曲輪内は幅15x長さ50m程だが削平の曖昧な緩斜面!!。それぞれに尾根続き背後に堀切を一条設けている。最高所の郭の手前50m程には雑木・下草藪に覆われた東斜面に一条の長い竪堀!を観る。
 最高所主曲輪:土塁からの曲輪…更に下方へ小曲輪群?
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山道でもなさそうだが主曲輪に近いので東からの堀底道かも…?。県境の戸平峠を越える鴨庄川沿いを正面に、北方は福知山からの塩津峠越え・R9号(山陰道)綾部方面から六人部(むとべ)を市島・春日に入ってくる往来監視所としても、光秀方の付城として重要な位置なのかも…。天正6年(1578)黒井城攻略に戸平峠を越え迫る明智光秀の部将:明智光春・藤田伝吾に、黒井城に籠城のため遁れた在地国人はいたが、投降し麾下に入った国人が小曲輪と堀切を設けて守備に就いた砦だったのだろうか!!?。 

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