戸平砦 市島町戸平

R175号から県道59号に入り鴨庄小学校付近を過ぎると田園風景・向日葵畑を背景に毎年8月に実施される創作案山子が並ぶ。正面に日内城(点名:奥村)の山容と並んで虚空蔵山364mの姿が望まれる。尾根続きの丘陵下部戸平(とべら)トンネル丹波市側出口には小公園があり、隠れた名水「奥丹波のおいしい水/銘酒の里に名水あり」の石標があり、井戸からは20㍑単位で水を汲み上げるが電動ポンプが設置されていた…
 目を惹く唯一の遺構は土塁と堀切
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が阪神大震災(平成7年 1995)後・水質に変化があったものか?、現在も封印されたまま。市島町酒造会社の仕込み水に使用されていた名水の井戸だが…。戸平峠のトンネル上には既に配線も撤去された街灯が何本か残り、石組みの残る空井戸や2軒ばかり民家(廃屋)があり、駄菓子等を売っていた茶屋(休憩所)ともう一軒は採掘した石灰石から石灰を製造していたと云うが、明治末には廃家になった様。
   県道59号から戸平砦遠望
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この峠を一番利用したのは農事用・開拓した土地がその村のものとなった時代、山を越え他領へ開墾に行くため通った丹波の古道は飛領地とは異なった不思議な県境を構成しており、戸平トンネルを東に抜け大きくカーブして下る粗直線車道沿いに何軒か民家が点在する。民家が途切れる左カーブの先に突然:京都府側標識をみて三和町に入る。
  生活改善センターからの林道入口:駐車付近から山道が通じる
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戸平村は古牧村(牧南城の項を参照してください)出戸とあり、戸平村から奥村(日内城登山口の正法寺が北奥にある)へ越す牛馬道の戸平峠が、氷上郡(丹波市市島)・天田郡(福知山市三和)境界だった。天田郡側は三和町草山・寺尾・山陰道(R9号)千束まで地続きだが山深く、ニシンジョ城(西ノ上城)のある草山から先:戸平に掛けて圃場は少なく・山深く田畑も無かった頃:市島町牧村(牧南城の項に補足している…)の
  戸平砦:東先端露岩部曲輪の切岸
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人松本刑部が峠を天田郡側に越えた「字イチキ田」を開墾・開発して拓き・以来次第に出百姓も増して一ヶ村を成し、牧村より開き初めた故に氷上郡牧村の出戸として藩政時代には川勝氏の領地となっている。…松本氏を上刑部・永井氏を下刑部と称す…と「丹波志」にある。島城(北桑田郡美山町)を本拠の丹波川勝氏は豊臣秀吉に仕え、丹後田辺城に西軍として参戦しているが徳川家康に赦され?改易を免れ・慶長6年(1601)旗本家を興している!!。
   曲輪東先端の露岩部まで土塁を廻す
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県道沿いに”戸平生活改善センター”があり正面の丘陵上に戸平砦があるが、さて取付き点は…!!?。センター南側から林道奥の谷線(昭和47年度林業構造改善事業により整備されたもののよう…)が丘陵部南麓を縫って奥地にむかう!?…が、目前に古民家宿泊施設の”ゲストハウス「やまんなか」”がある。昨年以来のコロナ禍ではOPENしたばかりで休業状態が続いているのかも…?。駐車スペースの横から斜上する山道がある。
  堀切・土塁から:曲輪段差も曖昧なフラット主郭部
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途中2ヶ所ばかり祠や墓標も残る石組みの石段跡が残る古墓所らしい平地もあるが、此より急斜面の深い堀底道が城砦遺構の東先端曲輪(虎口曲輪!?)を捲くように曲輪上段に上がる。曲輪の段差も・曲輪の平坦地形確保?も曖昧な粗れた主曲輪は前方に盛り上がる土塁を観て、其処まで凡そ30mほどの単郭の砦。土塁背後には此の砦には一寸大きく感じる土橋付き堀切がある。
 土塁から堀切土橋を渡り尾根続き…日内城へ延びるのか?…
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砦の築城位置や目的は領地支配ではなく!、内藤氏が支配していた京都府側へ侵攻するための監視か?、京都丹波・三和町側から黒井城に迫る侵攻勢力に対する監視砦か?。戸平集落麓からではなく・日内城ともに赤井方最前線に位置する出城・出曲輪として利用されたものか?。「氷上郡内姓氏録」からは天田・氷上両郡から落城や大坂の陣に敗れ、浪人して此処に移った地侍もいるが…砦には関連無さそう…。
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