矢代城砦群Ⅲ 平志城 篠山市

矢代城砦群Ⅰで矢代城(国松城)を廻る周辺の国松氏城砦群を、矢代城砦群Ⅱでは国松居館を挟む東砦・西砦を坪ノ内城東郭・西郭に修正・加筆・画像の追加・差し替えすることとした。国松氏城砦群…!!?アレッ…”何か忘れていませんか…”と聞こえてきそうです 坪ノ内城東郭・西郭の其れぞれの尾根続きが詰め城の矢代城西郭群に通じているが、
坪内城東郭最北:帯曲輪から矢代城に繋がる土橋(手前)!?・左谷から平志城へ…
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矢代城主郭の東郭群に突き上げる南尾根筋の南郭に通じる尾根筋先端にも平志城があった。矢代酒井党の南矢代城主:酒井氏治の重臣であった国松對島が居城し天正6年(1578)落城したと伝える。酒井党の多紀郡(現:篠山市)来住は、淀山城の波々伯部氏・大山城の中沢氏・八上城:波多野氏…等ともに在地有力豪族だ。
   平志城北端の櫓台?から堀切と矢代城に繋がる尾根筋
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弘治年間:三好長慶・松永久秀等の丹波地方攻略の激しい戦いのなか・多紀を追われていた波多野氏が領地・八上城を奪還した頃には酒井党も波多野氏配下に復帰!?・国松氏等も波多野氏の麾下に属したものか。国松氏の矢代地名が旧丹南町南矢代の主君:南矢代の矢代に起因するのかは、矢代城築城時期や土豪国松氏についても不詳…です。
   北端櫓台?から南先端まで延びる尾根上の長い曲輪
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国松館を包み込む坪ノ内城両サイドに築かれる城郭の西砦の西麓には「ユニトピアささやま」の大駐車場と当施設に向かう車道沿いには、矢代城山上部から流れ出る矢代川が流れ出て西郭・国松館・東館域を遮断するように分断するが、南側の大野城の北先端に落ち込む麓の貯水池も同様!!。貯水池は近世の圃場用水施設とは思えるが、
  幅狭い尾根筋曲輪の東面を2段程の帯曲輪がカバー
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矢代川が用水池を東へ回り込み坪ノ内東郭の先端部(貯水池の北東角)から大野城の城域北東角から南に流れる自然の濠ともなっている。矢代川が大野城と国松館を遮断する形で間を流れ、且つ矢代川の国松館側圃場内は沼田堀や曲輪形跡を思わせる所もある。矢代城を三好・松永軍や明智勢が攻立てた際は大野城が向城として利用されたとは思える。
   平志城最南端曲輪のみ!?切岸高い…
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城郭の規模は少し違っても矢代城・大野城・平志城…ともに城遺構は幅狭い尾根を有効に利用するためか?、袖曲輪や長い帯曲輪を付随させているよう…。平志城も丘陵南先端の曲輪切岸は高いが、狭い尾根筋に7-8m幅の曲輪を確保しているが東斜面に1-3mの帯曲輪が北端の主曲輪手前の鞍部まで延びる。円墳?かとも思える約12㎡の櫓台か主曲輪!?背後を一条の堀切で遮断している。

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