虚空蔵山城(仮称) 篠山市小枕

県道77号を篠山川沿いに大山城を左手に見てR176号を越え、飛の山城(東岡屋城・篠山城候補地の一)の西南麓を直進し「篠山城跡南」交差点を右折し監物橋を渡る。直進すると木枕の四季山城側からR372号に出る。今時期なので橋の南詰を右折し一寸寄り道で医王寺ラッパイチョウの落葉を探すが此処は酒井監物の居館跡。
  49号線の谷松寺前付近から虚空蔵山城を望む
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南へ直進する野中集落の東は八上城下まで遮るものない圃場が拡がる。野中には八上落城悲話の女縄手と乙女塚の伝承と石碑を残す。また小丸山砦があり、四季山城も近い。小丸山砦から集落内を南へ抜けると四季山城一つ西の通りをR372号の木枕口交差点に出るが南へ小枕川沿いを直進。
  小枕古墳群(左手に虚空蔵山城と三国ヶ岳方面)  
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車道は高級丹波茶の里・母子(もうし)から花の寺:永沢寺や三田方面へ向かう県道49号(三田篠山線)で小川芋銭の「丹波霧海」(大正15年院展に出品された)を描いた風景は、この県道を母子側へ越える美濃坂峠からとも云われ、昭和初期頃までは摂津方面から丹波・丹後若狭方面に越える要衝の一つだったのでしょう。        
  鞍部の鳥居から虚空蔵菩薩を祀る祠に向かう
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天正3年丹波:黒井城攻略の際:明智方に付いていた篠山:八上城の波多野氏が突然黒井城荻野氏との”呼び込み戦法”…の謀略に光秀を敗走させた翌天正4年以降-光秀は黒井城とともに波多野氏の八上城攻めの包囲網を堅めてゆく。八上に籠城する将兵のもとへは摂津三田方面からも兵糧物資が運び込まれた。
  祠背後の山頂部から西斜面に段曲輪
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織田信長による比叡山焼き討ち:元亀(1571)2年もあって、三田小柿の感応寺(真言宗)の僧らが、後川から三国ヶ岳の南東麓から曽地・日置経由と推定するルートで兵糧運搬に協力していた僧や村人らが…見つかり斬首された「天正の首塚」碑が曽地奥に祀られている。感応寺にも竜神池の金の鶏の伝承が残る。
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兵糧物資輸送は其の後ルートを変え行なわれていた様で、曽地奥手前からは八上城へ尾根伝いも通じる。殊に胡麻塩砦(曽地奥/奥谷)の発見では曽地奥から殿町への峠越も昔は通常に往来があったようで、ルート走破後に城郭研究家:高橋氏による調査で曽地奥に胡麻塩・奥谷川に厠谷(せんちたに)名を収集。     
 鞍部からの東尾根筋に土橋付き堀切が一条
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この曽地から尾根を越えれは奥谷池に降り-殿町の蕪丸(奥谷城)・尾根伝いに八上城へも通じる重要拠点。三国ヶ岳南麓の母子(もうし)から美濃坂峠を小枕へ抜けるルートもある。兵糧輸送でR372号(デカンショ街道)を八上に向かうには危険過ぎるが一つ尾根を越せば小多田‐殿町へ運び込める!?。小枕川の谷筋中央に虚空蔵山城 (仮称)がある。
  虚空蔵大菩薩扁額の掛かる鞍部の鳥居前広場(曲輪)は祭祀用か?
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明智勢による八上包囲の戦い初戦頃なら八上城砦群の砦として、兵糧搬送の警護・見張り・守備に就いていたか?、反対に明智方による監視砦だったか?。一本の街道が通じるだけの岩場・荒れた露岩の多い西斜面に段曲輪・東面は虚空蔵菩薩を祀る岩場の祠と暗部に鳥居…東へ延びる尾根筋に一条の土橋付堀切があるだけ!。鞍部の広い曲輪は護摩焚き等の祭祀用か?。
  ↓ 此の辺りか?

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