銀山街道に散った播磨の義人:上月氏の首無し地蔵 神河町

先日:地区の小学校の人権啓発発表会では、篠山市の杜氏の「百日稼ぎ」を題材に劇仕立てで差別問題を扱っていたが、農作業が出来ない厳しい冬場の生活維持のため、禁止されていた出稼ぎ解禁を、命を掛けて直訴した市原村の清兵衛を知る人は少ないかもしれない。県下随一の「さざんか(天然記念物)」は未だ花を残している筈の西方寺に其の碑は有ります。10年ばかり獄中にいて、伊丹の酒造家に迎え入れられた清兵衛ですが、北播磨(?西播磨)か?・・神崎郡にも苦しい農民の立場を訴え続けた義人:上月平左衛門がいました。
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彼もまた死を尾覚悟して幕府へ直訴にと、銀山街道を東へと丹波・京への近道を江戸に立ちますが領内の外れ、根宇野(みよの)の地で追っ手の藩役人に見つかり、目的を達成出来ないまま・袈裟懸けに斬り殺されてしまいます。彼の霊を弔うため立てた地蔵像は、再び立て直しても首がころりと落ちてしまう・・・
そんな首切り地蔵(袈裟斬り地蔵) が「名水の里」にありました。
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神河町福崎は但馬街道沿いに生野銀山から飾磨港へと鉱石を運び出した「銀の馬車道」が通じていましたが、高坂峠を東に越えた妙見山一帯も生野の鉱脈が伸びていたところか、坑道が残ります。古来より犬猿の仲の赤松氏・山名氏でしたが、天正期赤松家一族の有田氏の貝野城・段ノ城が織田方の別所氏等に攻められ、城主は奥荒田で自刃していますが、おそらく高坂峠を越え、山名氏方の垣屋氏を頼って敗走したのかもしれません。銀山街道から京や摂津との通行に、後:福本藩等が参勤交代に利用した高坂峠ですので、此のルートや銀山湖から黒川~生野峠を越えるルートも、丹波青垣町の一部を山名・垣屋氏の領地で有った事もあり、生野銀山採掘の技術等を通して物流・交流があったと思えるからです。
資料不詳:調査不足で根拠は特に有りませんが・・・・┤*´Д`*├


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