負嫌稲荷!!伝説と幻影

大阪城攻めの重要拠点を主目的に、天下普請で築かれた篠山城ですが、築城に当たって其の候補の一つとなった王地山公園には、温泉施設の「まけきらいの湯」や稲荷社が建つ。本殿の伏見稲荷社と正対する西向かいに小さな「王地山平左衛門稲荷社」が祀られる。 「負け嫌い稲荷」伝説では大関。篠山城のもう一つの候補地・飛の山には小結の飛の山三四郎がいて、いくつかは過去のブログでも紹介しています。
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詳細!!?は上記のホームページに譲りますが、強い力士が実は当地方の稲荷社のキツネだったという・むかしばなし風!!の伝説ですが、場所が江戸両国の回向院広場で例年行われる将軍御上覧の大相撲であり、時代も第12代篠山藩主:青山忠裕(ただやす)の時、力士に中には前頭:頼尊又四郎(篠山城・外堀?黒岡川沿いに稲荷社が祀られる)が居り、第4代篠山城主:松平康信の甥で又四郎を祀ったもの。又四郎には血寄地蔵の伝承も残ります。
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さらに先立つ王地山の稲荷大明神は、もと常陸・土浦から第2代篠山城主として移封された松平安房守信吉が実母(徳川家康の異父妹? 姉だったか?)の菩提を弔うため建立した本門寺の末寺を山号寺号をそのまま篠山市内に移した本経寺に、化粧回しをした力士キツネの石像が有る。本経寺は奥の院に祀られる守護神:王地山稲荷社の神宮寺!!?の様です。9代目篠山藩主に青山忠朝が入り、8代目:松平氏は亀岡藩へ・・
青山忠裕を喜ばせた力士:前頭の黒田山・須知山や行司の金山源吾 等は亀岡藩領の京都丹波側に在る様ですが、現地稲荷社を知らず未訪です。「むかしばなし」と歴史上の人物とのコラボレーション 人名を冠する稲荷社の社号が 何を示すものなのか・・・後世になって符合させた話ではあっても おもしろいですね・・

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