小浜城  若狭

若狭小浜藩の雲浜城(小浜城)は・其の前身後瀬山(のちせやま)城に始まりますが、後瀬山城も其の前身は若狭守護:武田氏が青井山の城を大永2年(1522)武田元光が後瀬山城を築き、山麓の空印寺付近に居館を築いて若狭支配の本拠城としています。其の後の戦乱に:越前朝倉氏、朝倉氏も織田信長に滅ぼされ代わって浅野長政・木下勝俊が入封し若狭を支配しますが慶長5年:関ヶ原の合戦に西軍に属して除封され京極高次が入部します。
          小浜城:大天守台と小天守台
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小浜城は京極高次が市内を流れる北川と南川に挟まれる、小浜湾の河口近くにできた中州地形の ”雲<蜘蛛>の浜”に、海路・陸路の要衝となる地に小浜城(雲浜城)を新たに築いて移り、城下の”町割り”を行ない後瀬山城は廃されます。
  本丸:民家の迫る西櫓から大天守台(手前の虎口は園児も行来する生活道路!!)
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寛永11年(1634)出雲松江に加増されて転封となり、京極氏による若狭支配は高次・忠高の2代で終わりをつげ、 若狭唯一の近世城郭・小浜城は築城工事途中で、酒井忠勝に引き継がれることとなります。徳川譜代で老中の要職にあった酒井忠勝は徳川2代将軍秀忠・3代家光・4代家綱の三代にわたって仕え大老職を歴任し、将軍を補佐して徳川幕府3百年の基を作った重鎮。常に江戸幕府に出仕し、小浜城に帰ったことは数回で、延べ9ヶ月程だったと云われます。小浜藩酒井家は13代?続くが、初代忠勝に関わる伝承だけが独走する。杉田玄白同様に・徳川幕政下にあって天守閣築造が許された偉大な人物を顕彰する気持ちも解かるのですが!!

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