前木戸城 丹波

日本一低い谷中分水界・石生の水分れから発し日本海側へは、黒井川から竹田川に出て、R9号線沿い・京丹波町三和から六人部(むとべ)~福知山市へ流れ出る土師川と合流し、南丹市から京丹波町和知~綾部市を福知山市街地を抜ける由良川に合流します。竹田川が土師川に合流する地点・府県境の石原(福知山市側)に田野城が在り、約1km程を隔てて近接する丹波市側の市島町森・表に地区の南背に前木戸(さしど)城が在りました。(今年のオフ予定です)
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室町時代初期の在地領主高橋大和守為房が築城したといわれ、天正期には赤井氏一族の赤井弥助が居たと伝えられますが、陸奥国(福島県いわき市)湯長谷藩の高橋氏が、藩政以前の室町期に丹波国領主として来住していた詳細は不詳です。【湯長谷藩の成立は延宝4年:遠山(内藤)政亮から・・!!?】高橋為房は”黒井城攻め”に赤井直正に付いていたが、明智方の説得に応じて帰農していたが、為房の4代後の為成が湯長谷藩遠山家に召抱えられ、湯長谷藩丹波国の代官(2000石)として取り立てられ、依田姓を名乗り・前木戸城西山麓に陣屋を築きます。天保14年(1843)依田新蔵・依田音右衛門の二家が支配の役にあった「湯長谷藩史」任命された年代は不明ですが世襲代官を務めます。
丹波一国の領主:柏原藩前期織田家の織田信包三代で継嗣無く改易となり、後期織田家信休が柏原藩主となるまでの約45年・天領地だった丹波国氷上郡(丹波市)の東勅使や下竹田、何鹿郡(綾部市)私市に2000石の所領を得ています。<以下数は実数値ではなく凡その喩えと解して下さい>氷上郡内120?ほどの村単位に、60程の領主がニっ・四っの村を領有するだけで、隣村を横領する争いも、罰則の重さから割に合わずその意味では平穏だったようです?。
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村毎の領主名に湯長谷藩を見る以外・郡誌・町村史等にも丹波の高橋氏や、湯長谷藩のこと・依田氏のことを記した資料はなく、他府県史誌の頼りやっと知り得る情報は、他にも色々あるものです。数行の記述を残すだけの、岩瀧寺(独鈷の滝と最近では拝観料徴収の紅葉寺となった)の元住職:賢清上人【北条道益】についても、地元:氷上町の郷土史グループの調査研究資料はあるが、流刑先の佐渡島北〇家に残された医学関係資料と研究グループがさらに詳細。ところで現状の前木戸城の縄張り遺構はいつの時代・誰により改修されたものか?。勝手な想像だが友政城に迫った明智勢を、赤井氏方の勢力に置き換えれば何鹿郡側からの侵攻に備えた明智方の陣城?とも思えてきた。

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