定星寺居館 川辺郡猪名川町

大阪府の能勢町と兵庫県の府県境のあり、篠山市/三田市/宝塚市/川西市各市境界に囲まれて川辺郡猪名川町がある。川西市には多田神社(多田院)があり、此処:多田荘を領して多田院付近に居館を構えて本拠とした多田(源)満仲を祖とする多田源氏発祥の地。
   定星寺 左手石垣奥に土塁・薮の中に空堀状
画像
多田荘の木器・波豆・大原野(三田市)や木津・六瀬(宝塚市・猪名川町)等の所領に地頭職が置かれ、地頭が夫々の地に城を築いています。今回は篠山市から猪名川~川西市へ通じる県道12号線沿いに六瀬郷!?に杉生城・若城・愛宕山城を訪ねます。いずれも城史も城名さえも殆ど知られず、山城の醍醐味が堪能出来るほどの顕著な遺構や、優れた縄張りを持つ城はなく地侍・小領主の領内監視規模とはいえ此の北摂に塩川氏と能勢氏が積年の対立を続けています。
     定星寺内から霊園への参道沿いに続く左手の土塁と空堀状?
画像
多田荘の地は多田院御家人が支配し、其の筆頭が山下城を本拠の塩川氏。敵対する能勢氏の能勢町を結ぶ県道602号線・鎌倉川沿いから杉生の県道12号線に合流する地点・鎌倉に定星寺が在り、寺背後に堀切を遺す居館跡が遺跡分布図に記されていた。六瀬城?に平尾越中守が居り、其の別邸が景福寺の建つ位置に有ったと云う。能勢を結ぶ街道筋と篠山~川西・宝塚方面を結ぶ猪名川沿いの街道(県道12号線)を監視できる定星寺の位置に平尾氏の本拠(居館)が在り、其の背後の丘陵に「詰め城」杉生城が築かれたとも思えます?。在地土豪の多田院御家人には六瀬氏がおり、平尾氏とはどちらが本家!!なのか分家なのか知らないが、県道12号線を挟んで築かれている若城からも、同族であった関係に思える。多田院御家人相互で領地横領等の紛争も起きている。削平も粗く小さな曲輪や簡素な縄張り遺構から築城時期を推測することもできず?、城主も不明の周辺の城は、有事に援軍が来るまで数時間持ち堪えるだけの城ともおもえず、天正年中の塩川氏・能勢氏の抗争に備える程の防塁でもなさそう?。在地領主・多田院御家人の築城技術が物語る遺構なのでしょう…?

"定星寺居館 川辺郡猪名川町" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント