山内城 朝来市

ホントの物部城には行き着けなかった様ですが、物部城の物部治政と山内城の足羽是高は竹田城5代城主:太田垣朝延の武将で、共に天正元年(1573)山口の岩洲城(播但連絡道路の朝来SA付近対岸の丘陵上)に籠って、播磨の赤松広秀(天正13年竹田城主となる。現状の総石垣の城は広秀が居城時期に完成したと推察されています)勢に対峙したが、攻め落とされ退却の際:物部氏は討死、山内城の足羽氏も山内に潜伏し後・帰農したと伝えられます。
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山内城へは物部神社から県道70号線をJR青倉駅方へ・駅手前で東方へ左折・円山川を渡りR312号に伊由市場交差点を直進する県道526号を伊由谷川沿いに進むと、急斜面を北面に落とし・三角垂状に聳え立つ低丘陵が見える。城山が判断出来なくとも伊由谷川を最初に渡る橋の手前右手の山が其れ・・・・。
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其の一つ手前に山内集落への橋が架かる。橋から県道526号を渡り田圃を突き抜ける農道の正面丘陵側に鹿猪除けフエンスが有り、開閉して左方へ斜上していく未舗装林道を辿れば山内城に行き着く。フエンスの右方が地区の集合墓地!!?。短い林道なので終点まで詰めて朽ちた丸木橋が架かるが渡るには危険:小さな溝谷を越えて左方へ進む踏み跡が山内城の城域南側鞍部に通じます。
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小曲輪を経て主郭に入ると中央付近東側(山内集落・伊由谷川を望む)に雑木・下草に覆われているが土塁の残欠が遺る。東斜面は登城時に見た様に急峻・主郭北からも急な切岸を下ると尾根下方に浅いが堀切がある。此処から西斜面に回ると此処にも浅いが竪堀状がある。主郭西南側にも二条程の竪堀がある。「兵庫の城紀行」のリストにある畝状竪堀とはこのこと?。
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小曲輪・主郭の二郭から成る城だが堀切北の尾根先へも自然地形ながら20m程の緩斜面。麓の山内(自領内)集落の眺望も効く。此の先は雑木〜杉・桧の植林帯への激下り。谷間に平坦段をアチコチに見かけるが屋敷跡?。城の規模からは考えられないので、昔の地場産・和紙等の原料となるコウゾ・ミツマタ等や、蚕の為の桑等が植えられていたのかも・・・?

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