大護神社 丹波

幻の氷上城とも云われた霧山(今も城址否定説があるが!!)から、南北朝期に幾度も南朝方籠った弘浪山の高山寺跡から、また”丹波の霧海”展望台としても知られる安全山からは直ぐ足元に、小さな独立丘陵の甲賀山(高岡山)と明治山(犬岡山)が、田園風景が拡がる盆地の中に浮かぶ。小さな二つの小島の様な山には”鬼が担いできた山”と「丹波のむかし話」に語られます。
   
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どちらの小山にも築城時期や城主の史実は不明ながら砦跡の伝承が遺ります。犬岡山は松井氏!!?が居たとも。柏原藩後期織田家の信休の転封では此処に藩邸(陣屋)を造営する為に視察したという。また甲賀山は甲賀(滋賀)の武士が築いた城が在った事に由来するらしいが?故は知らない。
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甲賀山は周囲を成松の町が取り囲み、東麓に丹波市役所が、西麓は成松商店街と諸寺が建つ。宿場町・街道筋の面影を商家群が色濃く遺しており、夏の”愛宕まつり”は毎回?ブログで紹介しているように伝統の「造り物」が人気です。此のメイン・愛宕社が甲賀山(愛宕山・高岡山)麓に、蛭子神社と並び鎮座する。
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石鳥居の最上部(中腹)に鎮座するのが大護(おおもり)神社です。重厚な高石垣積み・石垣上には白壁土塀・・・石垣は弓状の反りをもち城郭の様。境内は余り広くなく本殿背後は大岩を削って寄り掛る程に近接して建てられています。
   大護神社:脇障子の獅子の子落とし(中井権次正貞!?)
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しかし拝殿に続く本殿全体を包み込む様に、装飾彫刻を施された欄間・羽目板・唐破風の軒下には獅子と龍の彫刻が・・・・<中央部>の龍が飛出す様に突き出した二本の足はナント馬蹄形!!。渡りの反橋?上の天井には躍動的な龍の彫刻が・・・・神社は元禄12年(1699)の再建ですが、天保9年(1838)京都の長谷川佐多郎(棟梁)と柏原の彫刻師中井権次(橘)正貞により 改築されています。
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中井家は初代から3代までは大工職だったが4代目:中井言次<権次>君音(定忠の名の方が通名!!)から彫刻師として多くの寺社に”丹波 柏原町住人”の刻名を遺しています。丹波市内では此の大護神社・新井神社の神猿、柏原八幡宮の三重の塔・・・・等、殊に中井権次(橘)正貞の作品を多く目にします。

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