鍋倉城 丹波市

山田川が篠山川に流れ出る東側丘陵部にあり、JR谷川駅の東南方向に東山(鍋倉山4等三角点459m)がスッキリした綺麗な山容を見せています。北麓を県道77号線(旧山陰道)が走り、篠山川を挟んだ北方には西から玉巻城(久下城)・JR谷川駅裏手の丘陵上に池ノ谷主計屋敷・大河城・西山城…・が横一列に並びます。
  東山三角点峰東鞍部の土塁曲輪
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丘陵西に山麓を山田川が流れ・山南三山の常勝寺(追儺式鬼こそで知られます)、県指定天然記念物フジキが有り、久下氏が崇敬した高倉神社も東山南尾根筋麓に鎮座する。山田川を遡る谷奥には平家の公家・落人伝説の首無し地蔵がある。笛路を抜けて播磨国<西脇方面>や黒石ダム側へ抜けて篠山市街や今田を経て摂津三田へも通じる間道ともなる。 
  鍋倉城西郭・主郭間の堀切
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東山(鍋倉山)には三角点のある山上部の西端に西郭を、尾根続き東方の関電高圧線鉄塔No67への急下降点手前に東郭を、其の中央部には主郭置き・各郭を堀切で区分する鍋倉城(大田城)が在りました。
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国境警備を兼ねた要害の地に位置して、城史は不明ですが久下氏配下にあって、本拠:久下城の支城として、篠山川対岸の大河城を始め諸城に呼応したものか。城史は不明で太田美濃守(大和守)とも片瀬近江守の居城だったとも伝えられていますが、久下氏本拠の城にも遺っていない石積が主郭部南面を重点に残っている。
   鍋倉城東郭の空堀と曲輪の切岸
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当初は太田氏が築城し其の後・片瀬氏が居城したもの?と考えますが、天正3年(1575頃から始まった)織田信長の”丹波攻め”では八上城・波多野秀治や黒井城・赤井(荻野)直正等の丹波の武士団は明智光秀の大軍勢を迎え撃ち天正7年に平定されるまで 激しい戦いが繰り広げられます。この合戦の余波を受けて天正6年 (1578)に落城したといわれます。

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