後谷城(後屋城) 丹波市

R175号線を加古川(旧佐治川)沿いに走る氷上回廊は、今:河川堤防沿いは桜廻廊として淡いピンクの帯びとなって続く。佐野から萱刈坂を越え鴨野(高見城下)から柏原町方面に向かう分岐・稲畑の錦橋交差点付近からは、露岩を魅せる堂々の弘浪山と白山の姿が望めます。左折して錦橋【親柱に描かれているのが稲畑土人形で伏見人形の流れを汲む赤井練人形で知られる】を渡り県道109号に向かう正面の白山山麓付近が赤井野と呼ばれた谷村・後屋・沼貫・新郷等の地に赤井氏が居館後谷城(後屋城)を構えたとされます。
  後谷城(後屋城)大土塁・外側は空堀<先端部は櫓台>
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赤井氏は鎌倉時代・建保3年(1215)井上九郎為家が栗住野城から新郷に移って芦田姓から赤井姓を名乗り、為家から9代目の赤井忠家から時家・家清・忠家へと4代続いた赤井一族の本拠が後谷城(後野城)とも云われます。城主:時家の二男才丸が荻野18人衆に請われて養子に入り、荻野姓を名乗り朝日城の党首なり後、黒井城主の叔父:秋清を刺殺して黒井城主となった荻野<赤井>直正で、この際:自ら悪右衛門を称し丹波の赤鬼の異名を持つ。
  白山神社本殿前の堀跡
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県道109号新郷に出て北ヘ向かい案内標識を見て赤井氏が崇敬した伊尼神社・赤井氏の菩提寺:鷲住寺を過ぎ白山登山口となる白山神社に着く。白山神社の境内周辺一帯が後谷城(後屋城・後野城・後谷館・赤井館・下ノ城)の居館・武家屋敷跡。
 ”ごんげん広場”内の石積み<造成以前から遺っている>・中央上に後谷稲荷
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本殿が主郭・正面手前の橋は堀跡・参道右手には高さ2.5-3m・長さ約60m程の大土塁が延びる。土塁の外側(白山登山ルート)には横掘が、境内内部や地区道を挟んだ南側のヒノキ・杉?林も段差を持った広い平坦地と高さ2.5m・長さ約50m程の土塁が残る。いずれも土塁先端部は広く櫓台だったか?。
  石積が遺る横掘:古墳の在る左曲輪・右は”ごんげん広場”側、堀正面奥は後谷稲荷
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白山神社の西に後谷稲荷が祀られるが此処も曲輪・稲荷社の直ぐ南下にも円墳が遺る事から狭いが少し盛上がる神社も古墳か。北方からの谷が濠ともなって南下の”ごんげん広場”<(子供たちの冒険広場として造成中!!?>へと石組みの溝が延びて、広場と古墳のある平坦地を分けているが、広場の南側で横堀となり、
   横堀は鋭角に折れながら西・南・西へ延びる
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西へ・南へと鋭角に屈曲して曲輪を分けている。子供広場の低段差も造成以前の藪地の時から石積みが、横掘も石積み、横堀沿いには低土塁も附随し、広大な一帯が大規模な家臣屋敷跡を遺す。
遺跡分布図や資料に載せてある城郭遺構は此の後谷城だけですが、居館の背後から白山山頂に繋がる二つの尾根筋にも砦規模の城郭があり、白山(赤城山)山頂にも上ノ城(高城)とも呼んだ詰め城があった。
  地区道を挟んで白山神社の南側の林の中にも家臣屋敷跡の土塁が遺る
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後谷稲荷・古墳背後の西尾根は未確認ですが、東尾根筋に帯曲輪を廻す小規模な城遺構。白山山頂から北へ延びる尾根上の数ヶ所に2段〜5段の曲輪を並べる連郭式山城?遺構があった。主郭と思える山頂は天正7年後谷城落城後に白山山頂の城址を造成して白山神社が奉斉されており・城遺構は不明だが…。
   後谷城(後屋城・後谷館・下ノ城)の城主居館<下屋敷>は白山神社!!

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