後谷東砦(仮称)

赤井氏発祥の地・赤井野の谷村・新郷には白山(赤城山)山麓に、鎌倉時代・建保3年(1215)井上<芦田>九郎為家が栗住野城(青垣町)から新郷に移って芦田姓から赤井姓を名乗り、天正7年(1579)丹波攻め:明智光秀の援軍として攻め寄せた丹羽長秀・羽柴秀長の連合軍による攻撃に穂壷城 ・保月城(黒井城)と共に落城するまで、約360年に渉る戦乱期を耐え・生き抜いてきた国人:赤井氏一族の本拠地が在った。
     後谷東砦:主郭と帯曲輪
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為家から9代目の赤井伊賀守忠家から時家・家清・五郎忠家へと4代続いた赤井一族の本拠は後屋城か後野城の名で一般的には知られる様?ですが、主曲輪と推測される白山神社から白山(赤城山)山上へ向かう登山コースは後谷谷川沿いにあり、山上に高城・上ノ城が在る。下ノ城とも云われ居館と山城セットの城館は、地元観光案内説明版にもある様に後谷城・後谷館が妥当なのかも…?。
    高い切岸の二段曲輪上部と土塁
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後谷城の背後から・後谷谷川を挟む東西の尾根筋が山上の白山に繋がり、此の尾根上に砦が在ったと思われますが西尾根筋の砦遺構は未調査。白山登山ルート沿い鷲住寺背後から続く東尾根筋は、取付点に後谷城主:赤井伊賀守忠家の弟で、建武2年(1335)足利尊氏より春日部庄を与えられ赤松貞範によって築かれた黒井城を継いだ荻野和泉守の墓石の側から。
後谷東砦:西尾根側の段曲輪・切岸上に帯曲輪と際上部が主郭>
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高い切岸(5m程)をもつ二段程の広い曲輪は寺跡か?、更に延びる尾根先のピークが後谷東砦の主郭。点名:石山(3等三角点203m)の石標柱が埋まる。北面を西面の尾根続きまで帯曲輪が廻り、下段にも曲輪が付く。西面下の曲輪端からは竪掘らしい溝が北斜面に落ちる。此処からは長いなだらかな尾根筋を辿ると白山五合目の東屋休憩展望所に着く。後谷城からの谷筋(登山コース)も此処で合流。谷筋の岩場には赤目不動尊が祀られるが、近くには”城ノ水”と云われる水場が在ると言う。

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