勝連城 沖縄

勝連城は沖縄中部東海岸の北は金武湾 ・南は中城湾に面した勝連半島(与勝半島)の南の付け根付近にある。
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傾斜の急な独立丘陵上に在り最高地点(標高約97m)の一の郭(主郭)からの周囲360度の素晴らしい眺望は数多い沖縄の城の中でも他には得難い場所。 南城・中間の内・北城で構成され肝高の(気高いの意)勝連城とも呼ばれるようです。
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県道16号線からは急峻な丘陵上の自然地形を巧みに取込みながら、更に高く突き上げる様に石灰岩の石垣を高く丸みを持たせて座喜味城同様に、野面積み・相方積み(亀甲積み)
・切石整形した布積み等、沖縄の城独特の石積み技法により積み上げられた城壁を巡らして・強烈で本州では見ることの無い雄壮な正に肝高の城!!の景観を望みながら城址に向かって走る。
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12~13世紀頃:英租王統は初代(旧)英租(在位1260-99)に始まり2代目大成(同1300-08)の五男が初代勝連按司となった頃より勝連城の築城が始まった!?らしい…が、沖縄の城でも最古参の城。5代西威の後は継承理由不明だが6代・伊波按司、7-8代・浜川按司・9代・勝連按司茂知附(もちづき)と続いて築かれてきた城は三山時代:他国に先魁け中国 ・朝鮮等との海外交易を盛んに行ない茂知附を滅ぼし自ら10代勝連按司となった阿麻和利の頃には最も勢力を拡大し、三山統一後も王府から唯一王権を脅かす存在となる。
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1458年:第一尚氏王統6代尚泰久(在位1454-60&)の王妃は尚氏王統の忠臣:護佐丸の娘。其の護佐丸盛春に叛意あり…との讒言を広めたのが勝連城の阿麻和利(妻は尚泰久の娘・百十踏揚<ももとふみあがり>)。首里城の抑えとして勝連城を警戒する為護佐丸に築かせ居城した中城城を王府軍が攻め、護佐丸は戦わず自害する。続けて尚氏王統を倒して沖縄全土支配を目論んでいたものか、同年:琉球王府の首里城の尚泰久を攻める謀反の企ては、妻の百十踏揚と従臣の鬼大城賢雄が城を抜け出て王府に知らせ、逆に勝連城を攻め阿麻和利は滅び、「阿麻和利・護佐丸の乱」は収束する。
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其の後:百十踏揚は鬼大城と再婚するが、泰久の次代:尚徳を滅ぼした金丸が尚円を名乗り第二尚氏王統初代となるクーデターに、鬼大城は討ち滅ぼされます。讒言や内紛のドロドロした権力紛争ばかりが目立つだけに、王統に最後まで対峙した阿麻和利を逆賊とする説・護佐丸が王府に謀叛?、更には統一成ったとはいえ三山時代からの阿麻和利・護佐丸の二大勢力を滅ぼす画策を尚泰久や、金丸(尚円)が立てていたのでは?…と。

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