井原橋さくら公園

此のところ諸事情・多様でホームページの更新・ブログのUPも滞りがちで、”サクラ花見”関連はタイムリ-な時期を喪失気味です・・・ただ今年は気候のせいで比較的花期も長く楽しめたようです。未だ桜吹雪や葉桜も・・・!!
北はりま:西脇方面から加古川沿いのR175号を北上してくると、播磨と丹波国境の”道の駅「さんなん仁王駅」”があり、実物大の石龕寺の国宝 ・仁王像が迎えてくれる。「阿像」が国道脇に、「吽像」が井原橋南詰めの”イタリ山公園”入口に立つ。但馬国境:粟鹿山を源頭に流れ出た佐治川(加古川源流)が氷上回廊を抜け出て此処:井原で、篠山川を併せて加古川になる。(現在は旧佐治川流域含めての加古川)
  道の駅”さんなん仁王駅”(国重文:石龕寺の仁王像)
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イタリ山は多可郡加美区・中区から小野尻峠を経て延びる尾根筋は石金山(360度の眺望と丹波の霧海展望所)へと播磨境界尾根を東へ延ばし・この加古川:R175号・道の駅に東端を落とし込む。末端丘陵頂部が”イタリ山”。公園内には国学者:野々口隆正の”いたり山の古歌碑”が建つ。
 「いたり山 道のいたりは日ノ本の もとつ教えの ほかにあらめや」
  井原橋さくら公園:野々口隆正の歌碑
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歌碑の前・公園駐車場の西端から途中・石金山への縦走路を経てイタリ山山頂へのの登山道がある。山頂部から黒田庄町船町側への枝尾根にも段曲輪を設けた古い時代の至山城館だが詳細は不詳。石金山への播磨国境尾根筋にも大谷城をはじめ、幾つかの城址遺構と思える平坦地形がR175号側の南尾根筋にある。
至山城への登山道は途中・稲荷社跡の石積みを見る。足利尊氏が石龕寺を発って播磨へ向う際に祈願参拝したと云う出合稲荷社(井原城館の項)は明治43年に至山から日吉神社背後の地に遷座され祀られます。
  加古川合流点の井原橋(旧佐治川・篠山川の中央丘陵端よりに円応教)
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旧加古川は東播磨の名勝:闘竜灘で知られているが、加古川の船運では最難関箇所・一旦筏を解いて闘竜灘下手で再び筏を結んだ中継点。船座は滝野から田高にも設けられた。田高船座からは田高の西村某?氏による開削・浚渫工事により、更に上流:佐治川を溯った氷上町本郷(本郷の舟座)にも、慶長9年 (1604)開通した。
 井原橋・公園から続く氷上回廊の旧佐治川沿い桜並木
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丹波からの米積み出しには船町か田高まで陸路を・・・とったとも云われる?。西に佐治川・東からは篠山川が合流するが、篠山川も川代峡谷・下滝を流れ抜け出た大河(大河の嫁ヶ橋)付近や岡本付近からも短時期ながら切り出され材木が主流と思える筏が組まれ使用されたこともある様?詳細不詳ですが、渡舟は何箇所かあったのでしょう。
  さんなん仁王駅駐車場から佐治川合流の井原橋(右手の篠山川を併せて加古川に・・・)
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渡し舟の製造には丹波市山南町和田の梶氏がある。和田地区梶の旧佐治川(加古川)に架かる橋が船戸橋で、河川交通の船着場とともに船大工が集団があったのでしょうか。梶は舟の舵にも繋がりますネ!!。川幅も現在の半分程だったといわれます。加古川の舟運開発や其の舟運については、東播磨の豊臣氏領を管理していた地頭の生駒玄蕃が貢米輸送にあたって加古川に注目し財力のある大庄屋の阿江与助達に通舟を妨げる川底の岩石を除去し 浅瀬に水路を通させたことは、上記「闘龍灘」のリンク先にレポートがあるので割愛します。

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