上杉弾正屋敷 綾部市

綾部市街地を抜けR27号線を舞鶴方面に向う綾部市北部:国道傍に足利尊氏像が立つ安国寺【足利尊氏が全国に建てた安国寺の筆頭・足利尊氏の母(上杉)清子は上杉荘の上杉頼重の娘】への入口を過ぎ、京都縦貫自動車道(丹波綾部道路)高架を潜り・八田川沿いのJR梅迫駅から約400m程で”梅迫口”分岐。
画像

此の付近より北方の上杉町一帯が平安時代の何鹿(いかるが)郡内(綾部市・一部福知山市含む)に十六郷あった荘園の一つ八田(やだ)郷で、鎌倉時代中期(建長年間頃より一時期)上杉荘のあったところ。上杉荘は鎌倉(北条氏)幕府の第6代征夷大将軍に就任する宗尊親王(嵯峨天皇の皇子)が京・山城国から相模国の鎌倉へ東下り(下向)の際:建長4年(1252)其の護衛・介添えとして従った公家:勧修寺重房が武家に転じ・また其の功により何鹿郡八田郷の上杉荘(高槻保〈安国寺領等…〉の分領地!!?)に所領を賜ったことで上杉姓を名乗っている。
画像

勧修寺(上杉)重房の孫娘:上杉清子が足利尊氏・直義兄弟の母。上杉氏の始祖となる重房の曾孫で上杉氏嫡流上杉弾正少弼朝定が館を構えたのが弾正屋敷跡〈綾部市上杉町小嶋〉で、R27号(舞鶴道・丹後街道)の「上杉交差点」を府道481号に入って約350m程の所に上杉天満宮の鳥居が見える。
弾正屋敷の南方に上杉氏の支城:久保城を望む
画像

道路脇に「弾正屋敷跡」案内標識が立つ天満神社境内が屋敷跡と伝わります。朝定は清子の庇護を受け尊氏・直義兄弟に仕え、何鹿郡・天田郡の分郡守護であったとも、建武4年(1337)丹後守護に任せられ・康永3年(1344)足利尊氏の姪・高義の娘を妻としており、後に上杉氏の菩提寺:光福寺(現:安国寺)に所領を寄進している。八田郷に荘園:上杉荘の時代は短かったようだが上杉町内の城塞群を廻ってみた。

"上杉弾正屋敷 綾部市" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント