丹波:石龕寺もみじ祭り Ⅶ

2015年11月14日といい15日当日も早朝から音立てて降り続く雨音に危ぶまれたが、朝8時前後は雨も降らず・とりあえず今月は当番になっていた一党墓地の清掃を朝のうちに済ませて帰ってきたら、また小降り。それも束の間!!雨も止み青空さえ見られたのでホッ。
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昨年はJAたんばひかみ<山南>が施設をリノベーション中で、JA前での恒例の青年部等の各種出店や舞台でのイベント等は中止されていた。今年は丹波市一広くなった大駐車場の一角で例年通り、臨時の青空市や舞台では踊り・漫才・歌謡・餅撒き及びその餅に入っている札?による抽選会…等が行われた様子!!?。私は何時も通り井原から岩屋石龕寺への入口に位置する日吉神社より出発する武者行列に付いて石龕寺まで歩くことにしているので…JAでの様子は不詳。
  足利義詮役の外国人英語教師に法螺貝の吹鳴を伝授!!
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石龕寺は弟31代用明天皇の587年:聖徳太子開基を伝える古刹で、 太子が深く帰依された自彫の毘沙門天王を本尊としている。正平6年(観応2年 1351)1月、京を追われた足利尊氏親子が栗作郷の久下氏を頼って石龕寺へ落ち、播磨に陣を敷く尊氏を見送った嫡子:義詮は、丹波守護(建武3~康永3)となっていた仁木頼章や久下氏を等2000余騎の兵と共に石龕寺に留まった。
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正平6年(観応2年 1351)1月、京を追われた足利尊氏親子が栗作郷の久下氏を頼って丹波国岩屋の石龕寺へ落ち、播磨に陣を敷く尊氏を見送る際:足利尊氏が武運祈願する為・石龕寺の毘沙門堂に参内する様子が、此の山南(丹波市山南町)三山で、丹波もみじ三山としてよく知られる石龕寺の「もみじまつり」の武者行列は、岩屋谷川沿いに細長い岩屋集落内を石龕寺に向かう、其の入口が此処:井原日吉神社の側から。
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正平6年(観応2年 1351)京を追われた足利尊氏親子は栗作郷の久下氏を頼って石龕寺に逃れ、尊氏が一旦九州へ退く際に見送くった嫡子:義詮には(丹波守護・建武3~康永3)だった仁木頼章や久下氏を等2000余騎の兵と共に石龕寺に留まった。その際:義詮に寺僧が差し出した栗に「勝栗」のことを思い出し「都をば出て落ち栗の芽もあらば 世にかち栗とならぬものかは」と詠んで、栗に爪の跡をつけ土に埋めた。爪あと栗(ててうち栗)の伝承は、よく知られるところです。
   仁王門からは下馬し徒歩にて毘沙門堂に向かう
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ことしの騎馬武者(足利尊氏・義詮父子)で義詮役は丹波市の高校・中学での英語授業担当の外国人教師だったが、よく似合っていた。尊氏役の自治会役員さんか?も・堂々とした恰幅の適役
行列は途中で一回休憩するが、休憩中先導する山伏(石龕寺檀徒で構成されている)の一人から、法螺貝の吹奏を体験!!?。トランペットやサックスと同じ要領なのだろうか?、なんと一発で妙なる音を響かせていた!!
   毘沙門堂に参拝の尊氏一行
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道中の岩屋谷川沿いに細長く延びる岩屋集落内には茅葺民家もあり、途中に柿の実を残した木々や大粒が特徴の丹波栗農園・金色に輝く銀杏の木も、秋の風景に風情を添えるが、「石龕寺もみじまつり」は初期の頃は実施日がもっと早かったと思うが、諸事情から11月第三日曜に決まった様?で、大概紅葉は見頃を過ぎ、見栄えしないのが残念ですね。
   石龕寺は俯瞰する紅葉鑑賞が綺麗!!
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  過去の石龕寺もみじまつり  レポート↓
石龕寺もみじまつり Ⅵ(2014年)  2014年 http://40437108.at.webry.info/201411/article_17.html
石龕寺もみじまつり 丹波市  2012年  http://40437108.at.webry.info/201211/article_16.html
丹波:石龕寺も みじ祭り Ⅱ 2009年    http://40437108.at.webry.info/200911/article_10.html
石龕寺:もみじ祭  2007年  http://40437108.at.webry.info/200711/article_18.html
  
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