滝山城(観瀧寺城)再訪  福知山市

福知山市のHN”べーさん”より観瀧寺跡縄張り図・レポート等報告を受け昨年(2016年)6月に訪れた際の記録は瀧山観瀧寺Ⅰ鉦鼓滝に、観瀧寺開基の法道仙人と、此の瀧山の峰に「鉦鼓」の音を聞き谷にわけ入り、白滝を掛ける不動尊を祀る鉦鼓滝と、滝の上方に旧観瀧寺跡がある事を記した。
 櫓台に達する高い土塁道は左手曲輪の防風対策を兼ねたもの?
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瀧山観瀧寺Ⅱ 観瀧寺廃寺では平安時代:伊勢平氏・平維衛(これひら)を祖とする平親盛が長治元年(1104)奥榎原に逃れ、此処に城を築き此の地を開拓した平家落人伝説の隠れ里と榎原の語源を伝えられる古来より榎原の地は谷筋の行止り状態の難所!!だった。、平一族の親盛が奥榎原に敗走してきたという!!要因は何なんだったのだろう?、人物像も不明だが、”榎原”の名の起源・伝承(古文書)が残る。
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現状:府道109号が穴裏峠(トンネル)越えで丹波市に通じるが、少将石の伝説に東芦田城(小室城)城主の芦田金猶がモデルとも云われる深草少将が榎原を経て、小野小町の元へ通った穴裏峠は、榎原谷を挟む西南尾根上。「尻の穴の裏?が見える…!!」程の急な峠道。
  城域(旧寺院跡?)最西端・高い切岸(約8m)北の曲輪
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滝山城(観瀧寺城)が芦田氏一族関連の城なら丹波市側本城の小室城から此の旧穴裏峠を榎原の滝山城、旧穴裏峠からの尾根続きでR429の樽水城や段・畑中にも共に未訪だが城がある。和久川沿い小牧には小牧城(烏帽子山城)があり旧天田郡側芦田氏の城。
  寺院跡(手前)と城域を分ける二重堀切の中土塁と櫓
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R429の榎峠越えは佐治へ抜ける足立氏勢力下なので、旧穴裏峠越えルートで掬ばれる三城?と支城?は芦田氏関連の城なら…面白くなりそうだが郷土史誌…等の研究:京都府なり市の文化財発掘調査の結果を待つことになりそうです。
  寺院側虎口から上り土塁を上段曲輪へ
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瀧山観瀧寺Ⅲ 滝山城(観瀧寺城)では、東西200m以上にも及ぶ広大な旧観龍寺跡だが、東西を大堀切・肩堀切(箱堀?)が二分する、東部を山岳寺院跡、西部は梯郭式曲輪を並べるが、櫓・切岸高い曲輪・土塁・帯曲輪・下段曲輪から中ノ段曲輪を紆曲して上段曲輪に入る通路等にみる虎口…等。寺院が城郭化した遺構とも思え、滝山城(観龍寺城)した推移を記した。  
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再訪では榎原神社(所在:榎原村城山)鳥居背後から尾根筋を…と思ったが、地元地区の人からコースは崩れているョ、行くんだったら谷筋を…推奨されたので前回同様。弘法大師巡錫も伝え、寺運最盛時には本坊・尾崎坊・長尾坊等七堂伽藍の堂宇が建ち並び、山麓には尼寺もあったが天正13年(1585)兵火により焼亡、その後も幾度か再建・再興されているよう。
 今回発見:西主郭北面曲輪の更に高い切岸下方にも二段曲輪が!!
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歴代住職の卵塔等墓石が発見されていないようですが、尾根先端付近の平坦地形からは字名の城山が先祖を祀る奥津城を指すものか?、寺院の尼僧庵跡があったものか?、規模によっては旧観龍寺を遷し再建された場所なのかも?
規模の大きな古寺院跡だが市埋蔵文化財としては空白地帯。寺院跡・城址?としても此れだけの遺構を福知山市の文化財・史跡を埋もれさせるには惜しいですね。

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